ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

【日記】引っ越しをする

引越しをするので、業者から荷造り用の段ボールをたくさんもらった。独り暮らしのワンルームにそんなに荷物なんかないと思っていたらそれが全然そんなことはなくてものを持ちすぎている自分に少々幻滅している。
服や靴はだいたい自分で把握しているだけの量があったけれども本やら書類やらが部屋のいたるところから出現するのだ。呆れかえってしまうくらいバイオハザード状態。
いちいち目を通している時間なんてないから何も考えずに「捨てない」ほうを選択しているのだけれどもうまいひとはそこで「見ないで捨てる」を選べるんだろう。どうせ覚えていないことならなくても同じ、いい機会なのになかなかそのふんぎりがつかない自分がいる。へたれだわなあと思うけれども、さぼっていたのが悪い、もう時間がなさすぎるのでとりあえずとりあえずとバカみたいに呟いてなるべくよけいなことは考えないようにしてしごとを進めた。

押入れからは本当に悲しくなるくらい意味不明なものがどんどん出てきた。
意味不明なものが詰まった三段衣装ケースなんて意味不明すぎてそのまますててやりたくなる。でもできない。
段ボールは20箱も使わないだろうとたかをくくっていたのにサイズが予想より小さかったこともあってどんどん減っていく。こころもとない。あと何日もないのに間に合うのか心配しいるふりをして私は日にちが決まっていることで間に合わないことなんてありえないと妙な自信もある。

この部屋に暮らせるのももう何日かと感傷にひたりそうになったとき、学生時代に独り暮らしした部屋のことを思い出した。私は結局その部屋のことは全く好きになれなかった。そこは狭くて収納もなくて、早稲田通りに面していてときどき夜中に酔っぱらった男がわけのわからないことを叫ぶ声が聞こえた。17平米の狭すぎる部屋にあわせてネットで買ったセミのつくシングルベッドは女がひとりで寝るにしても狭くて、寝返りをうたないで寝るくせがついた。
ベッドとカラーボックスの間においた白いちゃぶ台にノートパソコンを広げて座るともう部屋はいっぱいだった。エアコンも古すぎてろくに動かなかったけれど、ひとつしかないコンロで煮物をつくっている間は暖房代はいらなかった。
私はとにかく出ていきたくて、引っ越すお金もないくせに不動産情報を漁って夢の部屋を探し回った。ひとりぐらしなら洗濯なんてコインランドリーで十分ということを知ったのもそのときだった。そういう、そのまちの暮しというものについては私はずいぶんと気に入っていたけれど、肝心の部屋とは結局仲良くなれないまま2年暮らしてその部屋を出た。今よりずっと荷物は少なかった。

今住んでいる部屋はボロボロで誰もよりつかないような廃墟だけれども、どこにもないつくりがとにかくお気に入りだった。洗面つきで2畳あるトイレに古いポスターを飾って外国めかしてないかいなんてひとりで悦に入っていた。
なのに引っ越しを決めた瞬間に笑ってしまう程どうでもよくなって今は本当に新しい部屋に夢中になっている。家財をどう並べ直すか、新しい家具を買ってしまおうか。どこに何を飾るか。車を買い替えるときにも同じ感覚になったのを覚えている。人間相手にもこんなことを言い始めたら何を言われるかわからないと気づいてくわばらくわばらと思った。
新しい部屋から富士山が見えなかったらここの部屋にいた時間を少しは思い出すだろうか。私はひとりで濃紺と朱のコントラストの中に気配を消していく遠くの国の山と代りに無数に浮かび上がってくる灯りを見ているのが好きだった。



新しい部屋にはさすがにもうベッドはついていないので万年床をふせぐにはどこかで調達しなければいけない。めんどうくさくてたまらないけれども多分私は楽しみでしかたがないらしい。

ちゃらい楽園

皆さんこんにちは、今日も世界のネカフェからです。


本日の舞台はギリシャ、何度でも申し上げますが、ここは女性が全員キーラナイトレイな夢の世界です。且つ!絶賛財政破綻中で有名です。
博物館は毎日15時まで、鉄道が来るかどうかは運次第(その日のストライキ運は電話で占ってもらえるから大丈夫!)、お店も飲食店以外はそれに準じます。
街を歩いても基本全部お店が閉まっているんですが、断じてシャッター商店街ではありませんよ何時間かは開いてるもんッという「今日は店に入れるかどうか」から始まるドキドキ緊張のショッピングが楽しめます。

そんな中飲食店だけが夜明けまで煌々と光を放ち、皆さんひたすら飲んだくれているのです。たのしそーーーー。地中海ってネアカだな。いいないいな。羨ましいな。

管理人はギリシャは間違いなく楽園のポテンシャルをもつ国だと思います。

 ドキドキしたりないご主人様、今後の旅行にいかがでしょうか。



おまけ


マネキンもちゃらいです。

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非常にちゃらい。

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世界どこにいったって70%OFFとくればそれはヒジョーに魅力的ですが、
しかし向かって右側のおねいさん、アレなポーズでいらっしゃいますけど、、、
管理人は「何これ」と思うとついつい衝動買いしてしまうダメなタイプの人間なので非常にドキドキしたものですが、平日の真昼間にも関わらず閉店中でしたので難を逃れました。変な服買わないでよかった。変な服って本音言っちゃったよ。

 

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男はだいたいかすかにアヒル口という特徴があります。

消費者を不安にさせる広告手法について

悪徳業者なきにしもあらずな世紀末、と思いましたら意外と世紀は始まったばかり、お久しぶりです。世界のネカフェから、本日は美しい国日本よりみなさまに注意喚起です。

現代社会は広告に溢れ返っています。一日の中で一切広告が目に触れない環境に住んでいるというひとはかなり少ないのではないでしょうか。
広告は、消費者のイメージの刷新を目的としています。消費者の購買意欲を煽ることを目的としたり、誰かの意識を変えるために出す広告もあります。
そもそも内容に問題のある釣り広告や虚偽広告は論外ですが、グレーゾーンで消費者を悩ませるものが不安商法を使った広告です。いままで気にもとめていなかったような不安を喚起し煽ることで潜在的需要を造りだし購買に結びつけるのです。専門用語を駆使して意味のない高額な耐震工事を行わせるリフォーム業者や、一生結婚出来ないのではないかという不安につけこんで会費の高い結婚相談所への登録を勧めるネット広告もあります。

一番原始的な広告である「看板」から代表的な事例を紹介します。
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ちなみに「あっち」が誘う風景はこんな感じ。

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閑静な住宅街の中、強いフォントで強力に訴えかけてくる広告。
あっちにメガネがある。だから一体なんだというのでしょうか。

見るだけで、ドキドキしちゃいます。

ご主人様、十分にお気をつけくださいませ。

日記(city lights)

どんな言葉にしたとしても幻想は幻想なのに、それが口からでた時点で何か意味をもつと錯覚してしまう。そこにあるのは動機だけだし、犯人は必ず現場に戻ってくる。戻ってこない犯人は、つまり、記憶を喪失した完全犯罪に成功して 高笑いをしているのだ。

運がいいと、私が喫茶店で出会ったジャズのCDはしばらくするうちに私の部屋にアマゾンの箱に入って届くようになる。 LEE MORGANというアメリカ人のシティ・ライツはそうやってうちにきた。これは夜に部屋で聞くのがいい。不穏に始まった音がすぐに軽快 に踊る音に隠されて、私は知らない街を思い浮かべる。ビルの谷間、路面が濡れたままのレンガ敷き。灯のあたらない裏側の見えにくさ。その街はいまやもう世界のどこにもないんだと思う。その街が写っているDVDを今度TSUTAYAで借りてこよう。 私は名前を知らないで音楽を買ったり名前を調べて続きを買ったりする。耳はたいていそのことを忘れているけれど、 都合のよいことにはたいていの場合(さすがに100%とは言わない)、彼の趣味は私と同じなのだ。

 

ある時車で音楽をかけていたらトランペットとテナーサックスの区別がついていない自分に気がついて、さすがにあわ てて家のスピーカーを通してみたら絶妙に絡みあった音に聞こえたので安堵したことがあった。それからカーステの取 り扱い説明書をたぶん初めて引っ張りだして、色々と楽曲によって音質を設定できる機能をみつけてことなきを得た。 何年もどの音域も全くのフラットのままで問題なく聞いていたと思ってた自分がバカみたいだと思った。全然困ってな かったけれど。
(気づかなくてもいいこともあるけれど時間は戻せない)

 

自分の部屋には、就職したばかりのときにそれもがんばって秋葉原で買った3万5千円のビクターのミニコンポがあって、スピーカーだけいいものに交換してからいっそう機嫌よく働いている。6月になったらもう少し広いと ころにすむようになる、せっかくのチャンスなので景気よく、ずっとしまってあるアンプをちゃんとつなぎなおしてオーディオシステムを組もう。全然やり方はわかってないけど部品は足りている。なんとかなると思ってこちらも楽しみにしている。ブログにかけるくらいにはうまくいくといいのだけれど。

 

City Lights

City Lights

 

 

 

 

投書してる場合オブ・ザ・イヤーの案件かも

これ読んだ。

blog.livedoor.jp


で、これに対して

d.hatena.ne.jp

こういう記事を見つけたんだけれども。

そうは言うけれども、母親が息子の性を適切に取り扱うのは簡単だろうか。

「夫婦に満点を求める社会」の無理ゲー感 - シロクマの屑籠

こんなの簡単じゃないのは当たり前、だけど必ずやらなくてはならないことを精神論だと断罪することにはあんまり意味があるとは思えなかった。
誰も、元記事のひとだって、全く誰にも頼らずにひとりでやれなんてひとことも言ってない。

私は、それこそ専門家に頼ったり、頼れるひとに泣きつくでもなんでも、困っていることを誰かに伝える、ということが一番肝になるんだと思う。

そうすることで現状を自分で客観的に理解しなければ解決なんてできない。

 

子育てをうまく出来ないと叩かれる社会というけれども、、確かにネットでは盛大に叩かれているように見えるけれどもネットを介した反応は無責任なものが大半なんだから色々差っ引いて考えないと。
それはそれとしてリアルといってもいいけど周囲に本当に頼れる人間は誰もいないのか?嘆く前に精査すべきはそこだと思う。そのひどい状態を直接知っていて、それでも「叩いて」くる人間しか周りにいない環境なのか?

 

もちろん現実的に誰にでも言える話ではないので、専門家や相談窓口を頼ってとにもかくにも現状からのブレイクスルーを狙えという元記事は的を射ている。
(「全国のお母さん~」は主語を広めすぎになってるけど、記事の内容は完全にこの家族に宛てられたものだと考えて)

まあ個人的にはもうすぐ破綻しそうな現実をどう軌道修正するかについては「正しい知識をもつこと」よりも、相談できるひとを見つける、まででも充分に思うけれども。

元記事には、「ネグレクト」「性的虐待」「妻と対決するのを恐れて安寧を選んだ」などなど一見激しい言葉が並んでいるが、それこそ一様に叩くような無責任「ではなさそうな」意見だと思うし、時折こういう忌憚のない意見が聞けるのがネットのいいところ。

自分の行為を一度批判的精神をもって省みなければ、自分にしみついたコンプレックスを解きほぐすことはできない。自分でつくりあげてきた構造に問題が生じているのだから一度スクラップしてからまたビルドしていくしかない、とはいえ自分で壊すのには勿論ためらいがあるもので、そんなときにこんな鋭い言葉は良いきっかけになり得るものだ。元記事の狙いも当然そこにある。成功すれば「目が覚めました」ってなる。
スクラップというのはどんな個人にとっても、特にこういうケースで始めた場合には大変な孤独な作業になる。
第三者から言われなくても自分で気づけるようなソフトランディングができていたらそもそもこういう問題にはなっていなかったわけで。

うまくできなくては叩かれるなんて妄想だ、という位の強い考えを少々こじつけでも持たなければ、この家族の場合は近い将来(当事者であるこの母親の言を信じれば)破綻するしかないんだし、

外部を味方につければ問題が内(家)にこもるなんてことは構造的にありえない。
なんなら外部を味方につけられる可能性を認識するだけでもいい。


だから、この母親が新聞に投書してみたというのはひょっとしたら彼女にとってはものすごく大きい一歩だったりしたかもしれない、と思った。

 

 

 

相談文を読んだだけで、投書してる場合じゃないでしょって思うひとがいるんだよ。

ヤリ捨てタイ焼き

やり捨ての話を読みました。

aniram-czech.hatenablog.com


(記事のオススメ度としては告知されてる寄稿が断然面白いのです、が)あんこのたとえが私は非常に好きです。
私はそう、タイ焼きのしっぽ、あんこの少ない部分がとても好きなのです。
私はかつてあんこまでしっぽ、もといしっぽまであんこというキャッチで有名なタイヤキとともに暮らした経験があります。なにかにつけて奴らはそれを買ってくるのです。わざわざ遠くまでいって。タイヤキは頭からかぶりつくのが礼儀派の私は、あんこのない尻尾できれいに魅惑のタイヤキにお別れを告げるシーン、誰にでも訪れる普遍的な人生の苦み――をこよなく愛してきました、それなのにそのお店の存在はそれまでの私の人生を揺るがすものでした。由緒ある名店のタイヤキは普遍的においしいから毎度毎度私達は全員で最大限の歓びの声をあげましたがこっそり思っていたことは何よりしっぽが惜しいということ。これでしっぽまで入ってなけりゃもうーどれだけの魅惑だったか!しっぽまであんこ、あなたはそれを親切だとお思いか、はっきり言っておく、ありがた迷惑である、と。しっぽまであんこがはいっていたら口直しはどうしたらいいの、私はどこへいったらいいの?知るか、勝手にしろ!結論、しっぽまであんこは正直いって無粋です、タラのテーマとともに、やり捨てが実在した場合について考えてみましょう。

しっぽだけ食べる、結構それ私好きだな
ちょっとだけあんこがあって・・・


やり捨てはしたい同士がすればいんじゃないでしょうか、やっぱり。ワンナイトなんとかへの憧れ、つまりそれはあとくされのない時限的ロマンティシズムというすこぶる都合のよいファンタジーなのですからしっぽだけ同士はそれはそれできっと乙なのだと思います。ローマの休日なんかもあんこの量はどうみつもっても一口(だって一日だし)で即効じんわり切なくしっぽにあんこはなさそうでFINです。私は経験値低めなので言えてもせいぜいが銀幕のヘップバーンですが、あんこのないタイヤキをひとくちずつ食べるようなものだと思えばそんなに嫌な感じもしませんね。まあローマの休日を「win-winなやり捨て案件」とすること自体怒られそうですね。

 

ただ、恋愛はやはり甘~いなにやらが醍醐味というのは昨今の乙女ゲーム乙女漫画のケータイ広告を見ていればわかります、うざいけど有料は嫌、けれど、あんこの甘さに期待のレートをあてこんでいるひとも多いでしょうし、片方がしっぽは控えめ派で片方があんこ大好き人間だったりするとそこにミスコミュニケーションが生じてしまうのはいたしかたない自然現象だとは思います。

実際ワンナイトなんとか自体にあんまり食指が動かない自分とあますぎるあんこが苦手な、わかりましたちゃんと書きますがアンジェリークにはまれなかった自分、そこにはさぞかし大きな葛藤があるやいなやとわが身を振り返ってみましたが、そこは簡単、特に経験がないのでよくわっかりませーんでした。というのもひどい話なので考えてみます、やったことないから語れないなんて小学生以下だと思います、自分の頭がついているんだから自分で考えればいいんだと思います、ああめんどくさい。
別に矛盾なんてしてなくて、単純にあっさりと睦まじいあれやこれやに惹かれているのだろうという全く面白味のないふつうな回答が即浮かびました。いつのまにかしっぽだけかしっぽまであんこかの選択で考えていた私がおかしかったんです、そう、普通のタイヤキがメリハリ含めて好きなんですよ。なにかを考えるときにエキセントリックなふたつを並べたって何も進まないんです。ええとあんまりつっこんでも普通に恥ずかしいことしか出てこないのでもういいです。やっぱり恋愛観なんて詳細に語るもんじゃないよ。ちぇっちぇっ。(逃)