ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

祖父と私

ツイッターからコメントしていただきました。私はアカウントを持っていないので、返信できません。申し訳ありません。いただいたツイートは読めてるようなので嬉しいです。
こんな地味ーなチラ裏日記、来ていただいてありがとうございます。
はてなブログという赤提灯の隅は居心地いいですね。
あ、またあの暗い女来てるよーwっていう感じでしょうかw楽しいwww
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何を書こうかな。
父親の話を書きたいと思っていたのだけれど、どこから始めればいいのかが問題です。
独り言なので、深く考えても仕方ないのでテキトーに行きます。
方針として、一年位前の話から始めて、時間を適宜遡ろうかと思います。


前回ちらっと書いたけど、父の父親である祖父は都内の某マンションに独り暮らししていた。
大正生まれ、一年前は90歳。
週二回ヘルパーさんが来てくれていて、かろうじて独り暮らし、という状態だった。
とにかくぶっ飛んだじーちゃんで、、、

私は祖父が大好きだった。
子供の頃から優しくて、という意味では全くなく、それはここ7,8年のこと。
おじーちゃん、すごい面白い人だった。
話してみたら、ずっと喋ってる。
大抵が自慢話だけど、内容が本当に面白かった。

戦後のどさくさで捕鯨船の調査員になって南極に行った話。
作家になろうかと思ったけど、公安にサヨクと勘違いされそうになったので仕方なく教職についてごまかした、なんて「ほんとかよw」みたいな話。
「地中海は制覇した」みたいな旅行の自慢話。
早くに亡くした妻(私の祖母)がいかに美人だったか。(孫までちゃんと遺伝させようよー…)
長男(私の父)がいかに優秀で立派な息子だったか。(孫までちゃんと遺伝させようよー…)

特に若い人に話するのが大好きで、ものすごいかっこつけ。
なぜか昔の教え子による半分ファンクラブみたいなのまであって、だいたい祖父の家には有名店のお菓子が差し入れであったりした。
もう歳だからって心配されても、雨が降っても槍が降っても喫茶店が大好きでわざわざ銀座までバスで通っていた。
大学時代、ふと気が向いて孝行のつもりで銀座デートしてみたらものすごく喜んでくれて、それで仲良くなったのだけれど、
喫茶店の店員さんたちからちやほやされている祖父を見て、あぁ、淋しいんだと思った。生き甲斐なんだ、と思った。

現役時代は、夏休みの度に家族をほっぽらかしてスイスだかにスキー旅行に行っちゃう、みたいなやりたい放題の人。
最近の報道によると、あまりの奔放ぶりに親戚中から絶縁されていたらしいw
私の母親も本当に義父を嫌っていたので、子供時代はあまり交流もなく、近寄りがたいイメージだけだった。

実際、多分、自分の親なら耐えられないだろうと思う。
おじーちゃん、ガチで自分のことしか考えてないように見えたから。
ガチで意味不明の権威主義者に見えたから。
本当はそんなこと全然ないのだけど、それが表面に見えづらかったから。

孫っていう立場だったから、本当の「家族」からは隙間があったから、きっと、ほどよい距離間を保っていられたんだと思う。
親にするような期待ははなからしないし、どう考えても通じ合う年齢の距離に見えないから、逆に通じることが出来るんだと思う。
何があっても「おもしろーい」で済ませてしまえる距離感。
私にとっては、話すと元気をもらえるいいおじーちゃんだった。
あ、こんな自由でいーんだ、みたいな。

今度、一緒に渋谷の名曲喫茶に行こうねって約束していたんだった。


長くなりすぎるので、中断します。登場人物紹介その一で終わってしまった。
どんまい。