ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

言い訳と言語なひとり言

全然書けない。話を進めたいんだけど、あと二、三回で終わるはずなんだけど難しすぎて全然だめ。何とかうまいこと書きたいけれど、ポメラは速くても文章力には全く関係のないことが判明して悲しい。当たり前だ。今まで読んでくださったかたもいるんだからもう少し頑張る。またまたですが、ちょっとだけ休みます。

こうやって言い訳をするのも非常にかっこわるいけれども土日ずっと構成を考えていたのにほんとに全然書けなかったのがショックすぎた。

他にも土日でやらないといけないことをやらなかった。

会社から研修にいかされることになってわけのわからない課題がたくさん出ていた。キャリアなんとかセミナー的ななんとか。そんな自己啓発系にこんなやる気のないやつがいったって白い目で見られて終わりだ。そんなことない。いつも通り空気でいればよろしい。もしかしたらブログのネタになるかもしれないと思っていてそれだけが楽しみだ。ブログやってて本当によかった。

課題は自己分析系が多かった。エゴグラムとか、キャリアアップで自分をデザインとかなんとか。もうそーいうの、いいから。真面目にやったら絶対に退職すべきみたいに出るもの。やる気ないならやめちまえって思われても仕方ないけど私にも生活があるから。出世なんて興味ない人間も会社にはたくさんいるんだよー。

憧れる人の欄の候補は木枯らし紋次郎だ。誰にも関わろうとしないところがかっこいいと思う。ふざけてる訳じゃないのにこれでは考え直しだ。高杉晋作で面白きこともなき世を面白くならいけるかもしれない。そうしよう。私はだいたいのサブカルチャーににわか係数をかけたような女なので、幕末も勿論大好きです。幕末のひとはすべからくかっこいい。だけど皆立派すぎて、憧れのひとやらモデルにしているひとと言われるとずれてしまう。立派なひとは心底かっこよく思うけれど、そこまでのモチベーションがない。死ぬ気とかになったことのない現代っ子だからか。実際、私だけでなくそういうひとが増えていると思う。だんだんと皆がのんべんだらりとなんでも都合よく楽に楽に考えて平和に暮らしていく。そういう世界がもうすぐ来るかもしれない。きっと私は一人じゃない。

多分。

まだ見ぬ君へ、愛を捧げたいみたいな気分になった。みたいなー、とか、的、とか、っぽい、というコトバが自分の中で流行っている。そのものでないインチキ言葉だ。

こういうことを考えていたら、「わたし的には〜」ってやつがやっぱり相当やばい言葉な気がしてきた。わたし的はわたしから離れている。しかも使ってる本人も気づかなさそうだ。自分の発言への責任を逃れることのできる鮮やかな隠蔽レトリックだ。この言葉を発明したひとがいたら尊敬しちゃうな。自分がもしこの言葉を使ったら、すかさず、誰のこといってんだお前!って突っ込めるように練習してみた。

下らないことを考えていると一日が終わってしまう。

そうして唐突に終ります。中身が空っぽでスミマセン。これは空っぽそのものです。