ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

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悩み解消の理論と実践(その2)

はじめから ⇒ "家族の肖像" - 記事一覧 - ドキドキしちゃう
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<ごろごろ しちゃう>

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みなさまこんばんは。
どこまで話しましたでしょうか。そう、我らがレモンちゃんが悩みのコア(論点)をすり替えたところまででした。
何をすり替えたのかと断罪に入るその前に、すり替えが成功したままの状態で彼女を泳がせてみましょう。

 

浮気チクリ事件は一応の解決をします。
「告げ口しなければよかったんだ」これはこれで真実なのがまたややこしいのですが、本当に解決すべきコアは残ったまま、もやもやと幕を閉じました。

 

8年後。

場面は変わって、レモンちゃんが悩んでいます。
「いったいどうしてこんな目に・・・」
どんな目ですか?
「父親がアル中で死にそうなんですよ〜」
そりゃ大変ですね、でも何であなたが悩むんです?
「なんでですって!原因は私なんです、父の浮気を告げ口したんです、もう8年も前なんですけど(興奮気味に)」
そ、それはちょっと飛躍してませんか?
「私もそう思います」
安心しました。
「だから私は悪くないんです!」
え、誰もそんなこといってな
「誰が犯人か、探さなきゃ!」
えっ・・・(とりあえず手を振ってみるポーズ)

 

という感じで話はあっちの方にいっちゃう仕組みだったかなーと思います。(も、もちろんこれは単純化したモデルですが)

 

そうして彼女は真実(らしきもの)を見つけます。
父の受けた子供時代の虐待についてです。
いかにも人目を引きそうな、悩めるレモンちゃんが飛びつきそうな・・・
走馬燈が見えたと調子に乗るシーンです。
言っちゃいましょう。
「気のせいです」
いえいえ、勘違いされてはいけません。
彼女の奔走した情報収集に意味がなかったという訳では全くないのです。もちろん知識は自分の中に蓄積され、ものごとへの理解はその分だけ深まりますから。
歴史的認識に関わる解釈にもそこまで誤りはなかったと思います。
ただ、当時気づかなかった気づけなかったのは、その歴史の流れの先にいる自分自身の存在ではないでしょうか。
父の状態についての見解は述べられても、自分の状態についてはわかっているようであんまり・・・

 

俯瞰でしかものごとをみれない
自分には本気になった経験なんてないんじゃないだろうか
向き合うって、何・・・
逃げっぱなしの彼女が、もう逃げたくないと思ったのは本当ですが、結論やっぱり逃げてましたねwというオチです。
ちなみに、誰でも、「自分が逃げっぱなしである」という認知、これも普遍で嘘で気のせいですよー、みなさん、ここはテストに出ます。
紙面の都合で解説はしません(え)が、口に出してみてください。
「逃げっぱなしって・・・さすがにそこまでじゃーなかったんじゃないか」と。
私もそこまでじゃないと思います。言い過ぎかっこわるい。

 

脱線しました。
そんな自分をまた俯瞰で見ている(けど当該地点には着地できない)まだるっこしい状態に苛立って、カウンター的にやってみたのが海外逃亡です。ちょっと本気で逃げてみました。
悪くなかったです。
「逃げちゃいけないのに・・・」を「逃げてまーす」に変換するのは意外にオススメです。
逃げていても解決はしないけど、HPやらMP回復には効果的だったし。あれは楽しかった。(と、自分のやったことについて振りでいいから全肯定しちゃうのもまたポイントです。なんなら「すべて自分に都合よく」とか書いて壁に貼っておきましょう。人に見られないように注意。)

 

さて、逃げても、当然、解決はしないですね。何も進まないですから。
緊急避難に過ぎないです。

 

帰国した彼女はまた現実におそわれました。
父の余命1ヶ月宣告です。ここは完全に想定の範囲外でした。
OK落ち着こうと努力はしてました。でも、どう動こうとしても、実際にじたばたしても、なぜか自信が持てない。
自信が持てない状態は不安(=不安定)で辛いものですから、どうにか均衡を保とうとします。
興奮するか、落ち込むか。
これって、他人を責めるか自分を責めるか、ですね。
そして、
私の頭の中には、まだあの偏向認識がへばりついていたのです。
「私のせいじゃない」
聞かれてないのにわざわざ自分から進んでこう言ってくる人というのは100%「自分のせい」だと思っちゃっている状態ですよね。
ですからこの言葉であれば「ちょっと待て自分、あのね、君の話じゃないよね」とか自分突っ込みしてバランスとれるのですが、脳はそうとバレないようにうまいことごまかします。

「おじーちゃんのせいだ/おとーさんが自分の問題に向き合わないから」
事実としても100%の嘘ではないので、、、
そして、その隠蔽をより強固にするために、この台詞のシーンでは感情的興奮がかかせません。感情的になればなるほど、視野狭錯に陥ります。

 

「わたしのせいじゃない」は「私は当事者じゃない」とほとんど等価です。自動車事故で100:0にもっていくことが難しいという話と同じです。
(これ、落ち込んで「全部自分のせいだ」となっているひとの場合とか状況で変わるので言葉狩りのようには捕らえないでください=当事者じゃないという認識が積極的に必要とされる場合もありますから)

 

思うに、悩みってのは、責任意識の切り分け問題が解けない状態です。誤解を基に算定するとなんだかなーな率になって、それが本音でない(妥当と思えない)ことがうっすらわかっている場合に悩むんじゃないでしょうか。

 

「わたしのせいじゃない」
この台詞は、自分が話の登場人物でなくなってしまう罠です。すべての攻撃も防御も無効化します。わたし関係ありません。封神演義でいうと老子の持ってた宝貝を自分にだけ適用するイメージです。(ジャンプ世代なんですけど古いですか?)何か行動を起こしたいのに、一人だけ行動もアイデアも全てが主観として無効になるんですね。(事実としてどんな振る舞いをしても、客観的にどんな行いをどう評価されても、行いをしたそのこと自体を認知できなくなる=忘れちゃうか、無意味だったという認知になる)

無力感とか、諦観とか言ってたのは、多分こーいうことです。
きちんと当事者であれば、「何か出きるはず」ですから、そこまでの無力感におそわれることはなかったはずなんです。
もしかしたら、父の死に泣けなかったというのも、、こう考えるとどーでしょうね。これ落ちこんでくるんで考えませんw
「何かできたはず」でもいーです。過去形になると反省になると思います。

 

責任意識の切り分けとか言いましたけど、
問題の渦中にいると、
「あのね、そもそも誰が悪いとかの話ではないでしょ」ということに気づけないんですよ。
気づいちゃいけない、ていうほうが正確でしょうか。

 

気づいちゃいけないって、何に?
ここで、思い出してください。
8年前の事件はまだ解決していなかったのです。

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長すぎでごめんね・・・
どうにかならんか・・・
都合により、過去記事リンクを後日に貼ります。
おやすみなさーい。