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ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

終わりの戦いを始まりへ手向け

今週のお題「私の年末年始」

師走のあわただしい空気は、かといって嫌いじゃない。掃除をしたいと思う。本当だったら毎日少しずつとしたいところだけれど、ブログや読書で少しばかり忙しいので年末の休みに一日でやろうと思っている。
喪中なのでお節料理を作らなくていいことに少し寂しさを感じる。その世界では私は一人の傭兵なのだ。大根をひたすら千切りにする。鍋に醤油をどうどうと注ぎ込んでいく。今焼いている伊達巻きが何本めなのかもうわからないままそれでも卵を割り続ける。今年もまた卵を片手でわるスキルの拾得が出来なかったと、そう思いながら。刻々と時が進む。時間がない、焦りながらも歯を食いしばり出汁を計量する。大仰なプログレッシブロックの旋律をいとも簡単に破壊するゆく年くる年のテーマ。台所を飛び出し、キングクリムゾンを黙らせて、電波に乗った除夜の鐘に心酔する。ひとときの休息の後、戦後処理会議の開催だ。朝に使いやすいように煮物の鍋を並べ、洗い物をする。年が明けたって何も変わりはしない、ただ我々は何も言わない冷徹な時間に対して空しく何度でも区切りを宣言する。我らは流されているだろうのか、否、現実を奪ってやったのはこちら側だとブラフをかます。ここからすべてが始まるのだ。そうやって獲得した新たな自分の始まりへ、自ら祝福を与えよう。私が勝ち取った、私が私のために奪い取った総ての命を踏みこえて私は自ら立ちその頂に昇る、それが祝福だ。いただきます。お節づくりは戦争に違いない。来るべき始まりの、生きることの象徴をかたどらんがため我らは重を手にする。戦うことがレーゾンテートルである人間から、そのひとりである私からその機会が奪われるということは、ある意味では死を意味するのだ。悲しい。
なにをいっているのかというと、

お節が好きだってことです。おいしいから。