ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

そこから戻ってコミュ障について考えなおし。

大雪の影響でブログの更新もままなりませんでした。一体どんな影響がといわれれば、そりゃ色々ですよとしまして前回の話の続きです。

>どんな言葉が暴力になるかはわからない。うーん、
「暴力ってなんだろう」を延々考えてもよくわかんない・・・というあんまりな結果になってしまった。
(えー・・・)
暴力の他にも、甘え、不謹慎、常識、とか同じことになるから意味のないことが好きな人はやってみてねw それを定義してどうしたいのかがまずいかがわしいと疑われる言葉については、あんまり考えないほうがいいのかもしれない。
難しい系の言葉も総じていかがわしい。社会適応とは、承認欲求とは、みたいなの考えて「出来ないからダメな自分」ルートに入っていくのは本気で時間の無駄だと思う。意味ないから。(=人間は「そこに意味がある」と勘違いしていることについてしか考えない。考えてる=理解しようとしているつまり、それを意味があると思っている証明)


正直いい加減飽きてきましたが(反復は大事)
コミュニケーションは「他個体の行動の確率を変化させて自分または自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセス」です。
プロセスですから、
つまり、
コミュニケーションは自分の発言やら具体的な何かを指す言葉ではないです。

じゃーコミュニケーション障害についてもういっかい。

コミュニケーション障害 = プロセスが機能していない=何らかの阻害が起きている状況 = 誤解がある状況
コミュ障のひとってのは確かに、(なぜかは置いておいて)そのひとが他人と関係しようとすると「そのプロセスが阻害されることが多い」ので、周囲のひとからそう言われる可能性をもっている。

プロセスに障害が生じているだけなのでー、
つまり
「相性が悪い」
それだけ?それだけ。

相性が悪い原因を分析して、結果関係をやめるか、関わり方を変えるか、それは自由に選んでいい。
自分のウイルスチェック機能で出た結果だって怪しいレベルのものにすぎない。と思うほうが建設的。IPアドレスがばれたーとか騒いでお金を振り込まなくていい時代だから。

確かに障害っぽいものは起きているけど大した問題じゃないからまあいいや、でも別にいいし、
これは由々しき障害だと思えばなんとか変えてみる(試しにどれをアンインストールしてみようか)とか
単純にこれはケーブルの接続が悪いだけなのでは、とか(プラグ抜けてないかまず確認)

コミュニケーションに障害が起きているっていうのはどっちが悪いとか、誰がどうすべきとかいう話ではなくて「現在障害が起きています」という自分の分析レポート(観察日記)で、もっというともしかしたらそういうレポートが出ているのは私の側だけかもしれないなーと思う位でもちょうどいいかもしれない。
自意識過剰なのはよくわかっているんだからフィルターは毎日洗わないとw
相手のレポート作成能力だって全然わかんないし、、
「どんな環境にいっても同じことになる」のなら多分それは自作自演だけれど、自演に気づいたところというだけの意味で、、「だって仕方ないじゃん!」でも「これはちょっと」と思うのもどっちでもいい・・・

   ■

自分についてわかっていることを整理してみる(コミュ障は言葉として使う。コミュ障は、コミュニケーション障害を引き起こしやすい人、位のつもりです)
・私は自覚として自分をコミュ障であると認定している
・自分をコミュ障であると積極的に公言している ←そうすることで周囲との関係がうまくいくのではないかという暫定的な方法であるという希望観測的な認識を基にしている
・私はコミュ障をなんとか改善(←どういう状況かは漠然としている?)したいと現在思っている“らしい” ←推定。本気で変えたいのかどうかは不明(ペンディング) ←積極的に変えたい動機がわかんないから
・変えたいが本音であれば、自分は「自分の本来の姿はコミュ障ではないと思っている」ということなので、自分がコミュ障であるという現在の認定は暫定的なものでないと矛盾してしまう
こんな感じ。

   ■

だらだら書いてきてせっかく読んでくれている人にもなんだこれはと思うひとも多いかもしれないけれど、意味のあるない自覚の有無問わず体裁を整えて書くことも出来ないので(するつもりがないともいう)申し訳がない。文字通りそのまま申し訳が全然ないです、
ただコミュ障について長いことあれこれ悩んできたのも事実なので、じゃーどーすりゃいいのよという話で少しだけ具体的な「思った話」でも書いてお茶を濁そう。

「自分のせいなんです」は他人の負うべき責任すら奪うという点で暴力的な言葉になっているので無自覚に繰り返し使っていると(相手の側への負荷というかストレスが結構かかっているはずです)障害が発生する確率は絶対高まると思う。
(そう思ってもやすやすとやめられない、=依存症 それの解消アプローチ論を探っているのが現状)


相手のせいにばかりしているかもしれないとかいやいやそんなこともないでしょとかそんなこと言われたら誰だって腹は立つでしょうとか、色々思うけどそれの中間点がいつも現実なんだろうなー
まあ私には全然全く見えるようにはなりませんが、

まあ困っているひとがいたら(どっちの方向にいくにせよ)お互いそれなりに(冷静に、)頑張りましょう・・・
もうめちゃくちゃだなーw