ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
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3年前、大地震があった① ←画像追加

3年前、大きい地震がありました。
何回かにわけて思い出してみようと思います。イージーモードにもほどがある。(とりとめなく無駄に長いので隠します)

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金曜日、
なぜか私は会社で意味不明の体操らしき運動をしていた。健康増進だかなんだかのイベントの参加者が少ないなどと言いがかりをつけられ、お前いってこいと命令されたのだった。健康なんて興味ないのに。らしき運動というか、もう少し分かりやすく言うと「ゴルフボールなどを使ったりしてオフィスでも簡単にできるヨガ的な動きを覚える会」というふいんき
ゴルフボールが配られ、なんだかんだと会は進行していき、一番後ろの椅子でいかにもやる気のない参加者の一員としてそれでも講師の動きにだらだらしつつもついていっていた。
図としては、講師の先生を前にしておっさんの集団とおばさんの一群が同じ動きをしている、そして末席に我らがおひとりさまのレモンちゃんだ。
問題は、14時をまわった頃に起こった。
椅子に浅く腰掛け、ゴルフボールを背骨を挟むように左右から押しつけ、腰を左右にゆっくり動かすようにと指示があったのだった。
図としては、講師の先生を前にしておっさんの集団とおばさんの一群が椅子に浅く腰掛けたまま腰を前後左右に、
「ゆっくり腰を前にもっていってください〜次は後ろですね〜、はい、もう一回、ゆっくりですよ〜」
これはひょっとすると エ
そして我らがおひとりさまは本当に末席でよかったと後ろにひとがいないことを何度も確認したりバカすぎる連想をした自分に絶望しつつ、否、そんな恥ずかしい連想をしているバカが確実に自分一人であろうという背徳にドキドキしちゃっ
とものすごく意味不明な動揺と観察者のシュールな目線を統合しつつ腰をふっていたところ、後日震度6弱と言われる規模の地震がこの広い部屋をも襲ったのでございます。
初動、ざわめくおっさんおばさんと、ぼんやりする末席。この末席は学生時代地震が起こるたびにケータイで2chの地震板を見てよろこんでいたなあと感慨にふけっていた。これはすごい、スレッドがもういくつ消費されたんだろうか、
妙に長く続く揺れが少し弱まり、また強い揺れに戻った頃には、目前にいた大勢は廊下に突進していった。私は「また大げさな」とばかりに間抜けにみんなの落としていったゴルフボールをあちこちに拾い集めていた。揺れに合わせて転がっていくボール・・・
「なにしてるの!!!」
え、なにが・・・
だってここには隠れる場所もないけれど、倒れてくるものだって別に何も、ていうか地震位でそんな・・・
このときの自分をひっぱたきたい位に私はのんびりしていた。なさけないことに私は 人に言われ た の で 揺れる中を廊下に走ったのだった。
廊下の壁に鈴なりになりながら、「おおきいですねぇ」とか「長いですよねぇ〜」とか私の台詞は本当にだめな感じ丸だしだった。
揺れ自体が轟々と大音量をともなっていたので、部屋の中で何が起こっているか見ることは出来なかった。
なかなか終わらない揺れに恐怖も感じつつ、子供時代に阪神大震災の記憶として1分以上続く地震はありえないという話が似非だということに私は憤りを感じていた。うそつき。
すべての揺れが収まってから、会場内を覗くとおおぶりの、見たことのないものがいくつも落ちていた。照明器具だった。
部屋の中の片づけを手伝おうか一瞬迷ったが戻らないと心配されると思い一旦職場に戻ることにした。廊下の途中の床に亀裂が走っていた。うまい具合に総務課の先輩に出会ったのでそのことを報告した。

 

   ■

 

耐震構造が効いたのか、オフィスは思ったよりはひどい惨状ではなかった。
しかし建物全体が停電していた。PCが使えないと仕事が何も出来ないことに気づいた。隣の島の先輩が、がんばって作ったデータを上書き保存していなかったとすごく落ち込んでいた。
廊下に出ると、いつもクールで話しかけにくいオーラの美人の先輩が頬を蒸気させて(驚くべきことに)私に話しかけてきた。
「ねぇ、すごかったね!全然ケータイつながらないの知ってる?!」
先輩とこんなに盛り上がった会話ができただけで私は満足ですよとまた私は斜め方向にドキドキした。
しかし携帯がつながらないのは社内全体で大問題になっているようだった。家族の安否を確かめられない不安でイライラしている人が大勢いた。
何度も大きい余震があった。驚きよりも慣れや「一体これはいつ きちんと 終わるのだ」という不快感が強くなっていった。

 

(色々あって、)定時がすぎ、帰れる者は早く帰るようにという上司のありがたいお言葉に甘えて、私は家に帰った。外は何もなかったかのように静かに夕方をしていた。

 

帰ると、エレベータが動かなかったのでそりゃそうだよなぁと思いながら階段をのぼった。高い階に住んでいたので部屋の中がどうなっているか心配だった。
いつもどおりに玄関を開けた光景に、私は一瞬待ってからうっかり笑ってしまった。
めちゃくちゃだったのでとりあえず写真をとることにした。暗かったので電気を南無三とつけてみたら、ちゃんとつき、私は小躍りした。
「玄関を開けたときのショック」はうまく写真に切り取ることが出来た。

 

こんなん*1 ↓ (右手に見えるのが冷蔵庫氏)

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狭い家の中は本当にめちゃくちゃだった。
棚が倒れていた。電子レンジがふたを下にして床に落ちていて、トースターは反対側にふっとんでいた。そもそも冷蔵庫が台所の真ん中に鎮座していることがおかしかった。
冷蔵庫はコンセントを自力で抜いて1メートル程度の距離をゆっくり歩いてきたようだった。冷蔵庫の上においてあった小物類が一つ残らずそのままきれいに乗っていたので歩いてきたというのは的確な表現だと思っている。
死んだ祖母のなんとか焼の花瓶が、下駄棚の上に張ったクロスをずらしながらも、落ちるぎりぎりで踏ん張っていた。朝、生けた花だけ捨てて、水を張ったままにしていたそのぶんの重量が活きたのだった。
10回目の献血でもらったグラスは粉々になっていた。血が薄いせいでなかなか成功しなかったからなかなかそれが手に入らなかったので余計に嬉しくて飾っていたものだった。
居室は、初ボーナスで買ったビクターのミニコンポが、ずいぶん遠いところに3つバラバラになっていた。慌ててつなげなおしコンセントを指すとちゃんと動いたので、嬉しくなって適当にプログレをかけながら片づけをすることにした。
段ボールをふたつ重ねてテレビ台代わりにしていたせいで、テレビデオがふっとんでふたの部分がはずれていた。
余震が来るたびに壁にかけた絵や写真が大きく揺れてガタガタと壁を傷つけたので全部はずした。
しゃがみこんで歌いながら割れた食器の破片を集めていたら、ふいに、ああ、私はひとりきりなんだなと気づいた。どんなに言葉をつくしても、今のこの気持ちは誰にもわからない、と思った。親にも、妹にも、親友にも、誰にも伝わらないんだと思った。みんなそうだし、それは別に今だけなく、昔から私はそのことをずっと知っていたのだと思った。作業はどんどん進んで、私はそのことを嬉しく思った。
ここに誰かがいたとしたらとも考えたが、そのひととすら何ひとつ本当には共有できない、それはごく自然であると感じられたし、私はそう感じた自分に満足のようなものを感じた。

 

とろい自分にしては驚くべき速さで部屋の片づけはだいたいのところは済んだ。狭い部屋なのだ。本当に幸いにしてガスすら出たのでお茶をわかして一息入れた。疲れたと思った。
実家に帰らないといけなかった。実家にある大きな食器棚を思うと相当にやれやれだった。
防災無線が何度も断水を告げていたので念のためペットボトルに水を確保してから実家に向かった。

 

夜の9時を過ぎていたと思う。大通りは真っ暗で、信号機も電力がないと話にならないということに初めて気づいた。交差点を過ぎる度に速度をゆるめたが、知らずに参加していた車同士の非常時の連携プレーは驚くべきことのように思えた。恐怖感もほとんどなく、ゆずりあいという幻想が現実化していたのだった。
さすがに一番大きな交差点では緊張が走ったが、道路の真ん中に警察官が警棒をふって交通整理をしていた。私は職場で一番早く帰してもらって、部屋の片づけすら済んで、実家に向かっていた。信号の機能しない交差点を安全に渡った。

 

一本の道路を通過すると同時に周囲の明かりがまったくなくなったし、その逆もあった。

 

私が実家について、家族は全員揃った。全員興奮が続いていて、私たちはずっとそれぞれの身に起こったことを語った。驚いたこと、連絡がとれなかったこと、余震が終わらないこと。ガソリンスタンドが混み始めていること。断水の中お風呂に入れる幸運について。

 

食器棚は扉すら開かなかったという。信じられないことだと思った。ほとんどの食器は無事だった。
替わりに父親の書斎にある本棚は雪崩を起こして空っぽになっていた。
1階にある食器棚と2階にある本棚は向きが丁度90度違っていたのだった。
家の中は家族がもうずいぶん片づけてくれていた。

 

近所に住む一人暮らしの後輩に、何か不足があったら言ってくれるようにと伝えたメールはきっと届いていないと思った。6時間で着けば早い方だったから。

 

猫も犬もあまり何も気にしていないようで純粋に私を嬉しく迎えてくれた。猫にいたっては地震の間ずっと寝ていたという疑惑をかけられているという話を聞いて絶望的本能だと家族でバカにして笑った。

 

テレビを見て大変なことが起きていたことをようやく知った。大変というか、何が起こっているのかさっぱりわからなかった。家という言葉と流されるという言葉をセットで使うなんて初めてのことだった。
同じ映像が何度も何度も流れて、ニューヨークのテロの時もそうだったなと思った。
津波を見たのは多分初めてのことだった。
ぼんやり、全てが流されていくその映像の中に自分の家を見ているひとの気持ちなんて私なんかじゃ絶対わからないのだろうと思った。

   ■

 

続きます。

*1:普段はさすがにここまで汚部屋ではない