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ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

3年前、大地震があった②

地震があった後のことを覚えていることだけ書く。覚えていることしか書けない事実と、もう覚えていないことになってしまったたくさんについて悲しく思う。とりあえず、書けることだけ書いてみた。

①はこちら⇒ 3年前、大地震があった① ←画像追加 - ドキドキしちゃう

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地震のあった日の翌日から土日で本当に助かった。
土曜日の午前中、ガソリンスタンドの行列が出来かけているという話を聞いて、母親が私の車でならんできてくれた。確かこの日はまだ一人10L等の規制はかかっていなかったので満タンいれてくれた。助かった。

水道管がどこかでやられたとかで断水も続いていた。
スーパーやコンビニは駐車場にテーブルと簡易レジと電卓を揃えて青空市を始めていた。なんとありがたいことだろうと思った。今ならどんなに値上げしても濡れ手で粟だろうに、そんなあくどい店はひとつもなかった。水はひとり2Lのペットボトル一本までなどという札はあちこちに見かけた。
レストランは店の前で臨時でお弁当の仕出しを始めていた。一人暮らしの後輩はそういうものに随分助けられたと後日語っていた。
日曜日にはスーパーが開いていて、もちろん食品は私が行く頃にはろくなものは残っていなかったけれどもちゃんと営業していた。そこそこの広さの店内なのに肉鮮魚コーナーあたりまで大きく迂回して行列が出来ていた。

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日曜日はお金というものが紙くずにすぎないということを身を持って知った日でもあった。
物を買うという行為は物を売ってくれる人の行動に完全に依存したものだ。誰かが売ってくれるから買える、そんなの当然だ。何言ってんだ。
お金はそれでも紙くずという形で実存を保てるかもしれないけれども、クレジットなんてものは更に更に幻想そのもので、まったくの無力だった。銀行カードだって電力(ATM)が止められたら一巻の終わりで、、
近所には井戸があって、もし困ったらいつでもいらっしゃいと言ってくれた古くからの農家があった。この世界では持っている人が強い。どうやらそれが確からしいように思えた。

空きペットボトルを抱えて給水車に水を貰いにいくと、災害用のポリタンクを持ってきているひとが意外に多いことに驚いた。なんにしても備えはあったほうがよい。ペットボトルは使いづらいし沢山持ちにくいから。

   ■

どこに行ってもみんな地震の話で持ちきりだった。その時何をしていたか、どこにいたのか、どれだけ家族と連絡がとれなかったのか、皆似たようで全然意味の違うバラバラの話を飽きることなく語り、相手の話を知ろうと矢継ぎ早に質問をした。私も。

「「ふっつーの金曜日かと思ったのに」」

   ■

バタバタと、色々に恵まれながら何も失うことなく私が過ごす間に、海沿いの街は北から南まで壊滅し、原発事故はどんどん深刻になっていった。

ヘリコプターが燃え盛る原発に放水していた。それが一体何の役にたつのかということとそれに誰が乗っているのかが気になってしかたなかった。
原発に関連したことばとしては、メルトダウンなど専門用語もたくさん覚えたけれど、新しい組み合わせも沢山あった。おがくずと原発、入浴剤と原発。占いでもオカルトでも藁はつかんでみるべきだと思うけれど、
でもそもそもどうして原発なんかがあるのか、私が今までどんな由来の電気を使ってきたのか、そんなこと考えてもみなかった、これも嘘、私はヒロシマナガサキはもちろん、自分の住む県にある東海村で起こった悲惨な事故についても学生時代にまざまざと見せられたはずであって、それでも目をふせてきたということを思い出させられた。
法律用語では善意は知らないことで悪意は知っているという意味になる。

「悪意は善意に戻れない」

傘はあまり差さないタイプの人間だったけれど、地震の後1カ月位は傘を持つようになった。放射線については結局どの程度が有害なのか、人体にただちには影響がない(らしい)こと以外何もわからないままだった。

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私の住む町はあっという間に日常を取戻し、その反発性に私はずいぶん驚いた。うちの家の天井近くの壁紙はズッとヒビがはいっていたままだったし、近所の一角は瓦が全部落ちたことを示すブルーシートが家々の屋根ほとんどを覆っていたけれど、それもまた別の日常として飲み込まれていった。

電力の危なかったしばらく夜の街はあかりを減らしていたけれども、セブンなのかファミマなのかうっかりしているとわからなくなってしまうような闇はそんなに長いこと続かなかった。いつのまにか銀座の高級店でも入口のドアを開け放しで客寄せするスタイルに戻ったところもあって驚いた。


突然の天変地異を起こす力としての自然は驚異だけれど、人間の暮しそのものもまた自然なのだと思った。

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地震から2か月位たってから、だらりと出かけた街で、戦場カメラマンの渡部陽一の写真展が開催されていた。中東の国々の紛争地帯のいまを切り取った写真が多く展示されていた。
一枚、ガレキの間に残る道路に女の子が立ちすくんでいる写真を覚えている。
瞬間、その写真はテレビで見た、と思った。
東北沿岸の津波のひいた後の街角を写したものだと思ったのだった。
よく見ると女の子は全然日本人ではなくて、アメリカの爆撃を受けた街に住む女の子だった。
人間は、1000年に一度の地震が起こした津波がやってのけたことと全くおんなじことが出来る。

それってさ、結構すごいことだと思うんだけど、ねぇ?