ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

残留欲求とでも呼んでおく

同じ筋肉ばかり使っていると、凝り固まって動けなくなる。弛緩もさせないといけないからトイレにたつたびに踵を上げ下げして、肩胛骨を大きく回す。

単純作業は気持ちをすごく落ち着かせる。そこには決まった秩序があり、ほかには何もない、ただ必要な動作を延々と繰り返すだけで、数を数える自分のことばだけがある。自分のやったことがそのまま成果になる。決して穴をほって埋める作業ではない、やっただけの、やった分の結果がきちんきちんとでる、多分そう思えるか思えないかの差異が、どんな仕事でも一番パフォーマンスに関わってくるのではないかと思う。
特に、(今日私がしたような、)誰にでもできる簡単なお仕事ですの場合には。
個人の能力が関係のなくなるレベルまで仕事を落とし込んでしまえば、残るのはそのやる気の問題だけだ。少しでもやる気があるなら、多分どんなことにも相違工夫は自動的に出来る。アイディアは自ら生み出すのではなくて、上からどんどん降ってくる。
才能というのは単にその仮想的な永久機関がその正体で、たまたまその場所を見つけられたひとを才能のある人と呼ぶ。
努力したらいいという道徳論に勘違いされそうだけれどそのままの話。
(見つからない人はわざわざ見つけなくても大丈夫だっただけなんだから。)

という訳で意外に職場環境がストレスフリー化して個人的には万々歳なのだけれども、
直接的なストレスがなくなった瞬間に、今までためにためこんでしまったどすグロい色々の蓋が外れかけて一気に頭の中が罵離雑言であふれかえりそうになるのには辟易としている。これが後遺症のような実体のないものなのはわかっているのでとりあえず目の前にあることに夢中になっているふりをしてごまかしごまかししているのだけれども、ほんとうに依存症とはそら恐ろしいもので、
罵倒する対象は単なる投影で、つまり完全に無差別だ。
たばこでも吸いたいと思ってしまう、ほんとに。

確かに
私はねえちょっとそれはないんじゃないのも上手に言えなかったし、はなからそこへの適応が無理ゲーだと思ってからは言いたいとも思わないようにした。ひどいストレスだった。
それは事実だ。
でも、それで話はおわったはずで、めでたしめでたしなはずなのだ。それなのに誰かが蒸し返すチャンスをあわよくばで狙っている。ぜんぶ吐き出してしまいたくてたまらなくなる、それを見ている自分もいる。あぁ、とだけ思うように気をつける。言葉にしたって構わないのかもしれないけれども少なくとも文字にはしたくないからたまにはひとにグチをきいてもらう。

多分みんな同じで、自分のことを考えられる状態じゃないから他の人に夢中になってあれやこれやする。当たり前だと思う。
変わることはストレスで、でも停滞してしまうことはもっと大変なこと。
自分の所属する世界は自分が所属したい世界であることが望ましい。自分の選択の結果がどんなものであれ、そこが自分の世界だと思えることは幸運だ。

単純作業は好きだと思う。
集中のスイッチを上手にいれたり消したりできる。今はそれがきちんとできる環境にいる。建前ではなく、恵まれた環境にいることが嬉しい。
同じ作業を続けていると筋肉が凝り固まってしまうので、時々ストレッチをしてほぐすのを忘れないようにする。

 

今週はあと明日だけ頑張る