ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
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トム・ウェイツをかけながら生け花をする

先生の体調が戻ったということで久しぶりに生け花を習いにいった。花材は芍薬とアザミ、それから緑に太藺(フトイ)だった。嬉しい。この時期の花はとても華やかで、花屋ののき先を見るだけでも心が動く。
先生の家は相変わらずの高齢者特有の荒れ放題といった趣で、でも飾った花があるところだけがきれい。作品づくりがうまくいかなくて悩んでいる途中、先生は私がコーヒーが好きかどうか聞いた、そうしてオケイコのあとに私はインスタントのコーヒーを二人分淹れて少しだけ喋った。お弟子さんはどのくらいいますか、と聞いたら、もう少なくなったと言っていた。
もうすぐ蓮が手に入る時期だと言うので、楽しみです、と返した。すごく楽しみだ。あなたは睡蓮をいけたことあったかしらというので、蓮とは違うのですか、今までに蓮は2回やりましたと言ったら、あなたは贅沢ね、と笑われた。睡蓮は花屋さんにいけばいつでも手に入るものよ。そうねじゃあ次は睡蓮にしましょうと先生は言ったけれども、本当にそうなるか、半信半疑だ。
4年も生け花を習っているけれども私は花の名前をあまり知らない。

子供の頃は植物全般がいっせいに自分に襲いかかってくるような幻覚(幻視ではない)がひどくて本当に辛かった。中でもエゴが丸出しになるように見えて一番花が怖かった。瞬間的に感じる現実との乖離を見ないようにチャンネルをガチャガチャとひねる癖がついた。別のチャンネルでは専門家が笑って解説をする、フロイトの辞書を引けば簡単、花は女性器そのものですね。
初めて先生の家にいったとき、そういうフラッシュバックみたいな嘔吐感を抑えて菊の花を手に取った。茎の途中にはさみをいれると切ろうと思ったところで花は切断された。

 

「花をいけるとひとになる」と私の流派の偉い人が言っている意味はそのままなんだと思う。

外部世界である花を自分の世界に取り込む、生け花は、だから私にとっては食事にも似た戦いのイメージ。家に帰ってからもう一度作品を組みなおすときにはだいたいプログレか重めのロックをガンガンにかけて演出しながら気分を盛り上げるのがいい。
生きている花を生きたまま切り刻む、好きな方向に曲げて、針の山に刺して、部屋に飾る。枯れかけた瞬間もう一度短く切って、(必要があればもっと手荒なこともして、)朽ち果てるまで飾りつくす。生け花は、だから私にとっては弱肉強食で、気を抜いたらすぐ負ける。
「あなたはこれで何を表現したのかしら」そう問いかけてくるのは先生であり先生ではない。

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芍薬の花は大きすぎて、家にある一番大きな花瓶を探すはめになった。
私が表現できることなんて何にもない。どうしたらもっとこの花がキレイに見えるかああでもないこうでもないと、彼らの空間を新しくつくっていく、それを目指すだけだ。
先生が触ると不思議なことに花も葉っぱも全部意図した方向に向きを変える。丁寧にやれば誰でも出来る、と先生はさも簡単なように言う、結婚しないでその道に打ち込んできたひとがそう言う。それを思い出しながら、葉の一枚一枚に指紋をおしつけながら、角度を調整する。

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華道なんて残酷だと言われた。
楽しんですよ、と私はにっこりして答える。

 

ちょうど、実家の庭にあじさいがきれいに咲いていたので、少し切って別に飾ることにした。余ったフトイと一緒にガラスに入れてテーブルに置いた。

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本日のBGM

ユーズド・ソングス:ザ・ベスト・オブ1973-1980

ユーズド・ソングス:ザ・ベスト・オブ1973-1980