ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

日記(白痴/夢想家/嘔吐)

私はずるいんです。それについてせんせーがどう言ったのかは忘れてしまいました。私は○○なんですというのは私は●●なんですということよりもずるい。私もそう思います。でも、いんです。私は、私自身の考えてることも一切信用してはいないんですから。
嘘ですよ、ちゃんと忘れないようにメモはいつだってとってましたから。大事なファイルは時々バックアップだってしてるくらいなんです。はい、私はまた嘘をつきましたか。

というわけで坂口安吾のお兄様が書かれた御本にもう夢中な訳ですが、戦中は戦中でヤッパリだめな人間はだめなまま何があってもだめなままでそこには脱出口は何にもない、梶井基次郎を愛してやまないレモンちゃんはああいうなよなよした男について
梶井も坂口もどうしようもない現実感(リアリティー)をわたしたちの前に御覧なさいとしてくれる、そこにはひとつも出口がなくて、ふわふわと繋がれた浮遊感に私はいつもくらくらしてしまう。下戸すぎてマトモにお酒に酔えたこともないくせに、眩暈ばかりが強くあって立ってられなくなりそうだ。それはただのお話で、動いているようで書いてあることは文字だけ、本なんだから当然だ。CDは何回回してもおなじことしか言わない、言いたいことなんてそうそう何種類もないのは普遍的なしんじつだからだ。現実より面白いSFなんてそれ自体が私にとっては論理矛盾だ。しかし、それは主観にあふれた感想と呼ばれてることも知っていて、そう、もっと夢想家だって当然いる。いえいえちゃんと読めばわかりませんか、と国語の先生は気持ちを感じなさいと仰った。舞姫をおいていかなければならなかった未来ある青年に(若き日の)自分をうっとり重ねているのだ。感じすぎた私は言ってやりました。


「「最低だと思います」」


いま二重で括弧をつかったのは友達が一緒だったからです。先生は残念そうにしていましたが女子高生にそんなこと聞く方がおかしい、そんなことしてるからこうやってネタにされるのだ。

ティーは的でそれじゃあないって、ブログに書く度それは別物なんですよといちいち重箱の隅をつつくように言及しているのは何も考えないように考えないようにいつも言葉を選びながらしゃべっていく中でいちばん意識をしているからに決まっています。括弧付で書くとか工夫をすればいいのですが、それでも足りなくて、何をしてもしてもしたりないのがこの的の問題それから手段と目的の交換っこ、つまり、くるくる回してどっちが表かわけわからなくさせてしまう方法、

 

たまりにたまったキップルが無意識の舌打ちにかわるその一瞬前に唇の隙間から空気を一瞬で出す 

場面転換の号令です。

 

癖になるくらいでちょうどいいのでしょうね、ねえ、


毎日毎日頭の中でひとりずもうの検閲をやりすぎてフラフラに疲れてしまうのこそ本末転倒で、ぐちゃぐちゃになった頭の中からマトモに日本語化できそうな部分だけ切り離してエディタに写していく。作業自体は別にそんなに嫌いじゃない。めんどうなだけだ。

一緒に働いている年上のおんなのひとが今日言っていた。
「負債だけ、ちゃんとしっかりたまるんだそうですよ、貯金はできないのに、ひどいですよねえ」
それは睡眠の話だったけれども覚えておこうと思うので書く。
ひどいですねえと言って笑った。

なんでもためこむのはよくないんですねえ。