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ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

日記(渋谷にいくこと/電話をかけること)

土曜日は珍しく外出の予定があり渋谷まで出かけて行った。楽しみにしていた飲み会だったのだけれども、二週間ほど多分ユメウツツでぐらぐらと暮らしていたせいで、朝起きるまでその日は新宿に行くつもりでいた。渋谷はこういう機会がなければ絶対にいかない。渋谷は若者の街で、リア充しかいっちゃいけない場所だと心の底で決めつけているから情けない話だけれどもひとと一緒でないと行く気になれないのだ。
でもせっかく渋谷だからと思った、円山町の坂道の喫茶店あそこにもう一度行きたいと思った、ひとりじゃなかなか駅から降りる動機すら持てないのだから、こういう機会をつかまえないといつかがなかなか来ないのだ、絶交のチャンスじゃないかと思った、ここは鬼門なのに素敵な場所が多すぎる、憧れの場所が複数もある、結果私はいつもクラクラしながら渋谷の街を歩く、だから駅から放射状に伸びる坂道の名前を覚えるリソースがいつも不足している、いつもいつも多すぎるひとにぶつかってしまう。渋谷は怖い、なるべく背筋を伸ばして速く歩く。

家を出た時間が遅かったせいで結局お目当ての異世界には行けなかった。今度何もなくてもひとりで行こうと思った。渋谷ではないけれどジャズ喫茶もずいぶん長いこといってない。あそこにいけばきっといまでもほっとしてコーヒーが飲める、ブラックで半分飲んでからミルクを入れる、そういう場所があると知っているだけで安心できる。

飲み会は頭のいい大人ばかりが来ていてとても楽しかった、頭のいいひととはちょっと喋っても面白い、こういうときカラマーゾフの一番ダメな4人目が頭の中に出しゃばってきて、私はあなたは正しいと頷く。彼はギターが巧いおんなたらしだった。
好きなタイプであるとかそういう「私が思う当たり前の単語」が出てくる「普通の」飲み会に縁がないからいちいちどう答えていいのかわからない話が多くて困ってしまった。こんな風に困るのなら全然いい、そうしてつい1か月前に好きなタイプについて自分でこたえられるようにしたいと一瞬思ったことを思い出した、なんでも私はすぐよそ見して忘れてしまうからいけない。では好きになったひとがタイプなのか、そういう問いかけもあって男も女もたいていのひとは口ごもる、余程準備していない限り、その時々で自分は変わる、好きなひとも変わる、だから常時アップデートしていないと巧い答えなんて答えられない、そういうひとは誠実だと思う。
好きなタイプというものは、私の中に確実に存在する、そのお相手なんて誰でもいいが普遍的な真実なのに、でもそこにあるその不安定な微妙さ、自分を外界から規定する確実性なんてどこにもありえないからそれはどこからきったって微分しすぎた論理矛盾なのだ、その不条理そのものにあてた傾き、その観測結果を私は愛するのだと思う。ゆらぎ。発見したひとがそのゆらぎの所有権を持つ。揺れているということはつまりそこにいまがあるということだ。ゆらぎが仮想的に止まった次の瞬間一気に加速する方向がどうか前でありますように。

何を話しても嘘に変わってしまう悪癖は、それはつい木曜日にもひとから笑われたことだったけれど、それにしてもそういう指摘をしてもらえるくらいには随分マシになってきたたのだと思うことにする。木曜日にもすてきなひとたちに会った、彼らがお互いに向ける敬語を私は心底羨ましがって、何度も言うものだから二人に呆れ顔で笑われた。

ひとと話すのは本来が面白いことだ。私は私の知らないことについて知りたい。確かに自分に満足できない自分はそうとうな我儘なのだろう。
最近覚えたお気に入りの言葉は「一年に一度は知らない場所に行きなさい」だった。ダライラマだったかでとにかく普通にいい言葉だと思った。
知らない場所でも知らないひとでも知らない本でも知らないお店でも、なんでも援用していいだろうと思う。ひとりでいるのは完全に安全で平和だけれども、動かないでいられるならばそれは十分幸せなのだけれども、そのことを確認するためだけでも。
異邦人とか恰好をつけるまではいかなくても、通りすがりを名乗っても、通り過ぎるまで私は私が選んだ場所にいたい。

私は楽しいところにいきたい、メッセージを送りたいひとに送る、放っていた電話を早くかけなおさなきゃと思った、「どうして無視していたの」と案の定怒られて謝った、そうして、話をたくさんして、だけど自分のことはやっぱりひとつも話せなかった。何でも話せると思うのことも何も話さないでいることも結局全く同じことであまり誠実とはいえないな。そういうことがとても難しく感じてしまう。

急がないでゆっくり考える、時間は死ぬまであるから大丈夫だということにする。