ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

まだ5か月なのに/かわいい/かわいそう

もう夕方のお昼寝をしない日がほとんど毎日になってきて、それでも体力が追い付かないので彼女はお風呂のあと、もう疲れ切ってしまって夜ごはんとしての授乳もほとんど夢心地で寝入ってしまった。せっかくおやすみなさいを言うときに父親がいてくれたのに、彼女は私の肩で酔いつぶれたおっさんみたいになっていて、笑われながら寝室に入った。
ほんとうは(うまくいく日には)ちゃんとおやすみなさいと言って布団に寝かせれば親がそんなに手をかけなくても彼女は一人で寝られるひとだ。まだ5か月なのに、もう5か月だからと言われているなんてこともよく知らないし、そもそも彼女は親の信じていることしか知らない。いまは、まだ。

 

赤ちゃんの中にはまだ時間の概念がないらしい。おもちゃを取り上げれば抗議の泣きをすることはできても、即座に代わりのおもちゃを与えればもともとそれで遊んでいましたというように簡単に騙されてしまう。
寝た瞬間の次の瞬間は起きた瞬間なので、つまりおっぱいを吸いながら眠りについたときには、起きたときにひとりでいたのでは整合性がとれなさすぎる。だから彼女は今日は眠りが浅くなったタイミングで混乱して泣いてしまった。疲れすぎさせてしまってごめんね。結局今回は寝言だけではすまなさそうだったので、真っ暗な寝室に入る。ドアから急に入った光の隙間の中で彼女はとても嬉しそうにする。でも眠くてたまらない。顔を両手でこすって、でもどうしても眠れないのだというように唸り声を出す。


隣に座って、ゆっくりめにトントントントンヒノノニトンを眠くなるまで繰り返す。どうしても落ち着かないときには抱っこで子守歌を歌うときもある。
心底めんどうくさいと思いながら、まあいいかとも思いながら、私は寝かしつけの作業にとても集中する。いつの間にか一緒になって眠ってしまうこともある。彼女は彼女で勝手に寝てしまった。

 

眠っているときは天使だというのは、逆の意味あいが大きいといつもうんざりするのだけれど、それはそれとして今は天使なのだと思う。天使は何も考えていない。夢の中にはうさぎやくまばかりにこにこしているのだろう。まだモノも言葉もほとんど輪郭をもたない世界に彼女は住んでいる。そう思うと私は毎回胸がしめつけられるようになる。可愛いということばには可哀相が内在しているのではないかといつも思う。世界はパステルよりももっと鮮やかだし、リアルは痛いし、もっと面白いのをまだこのひとは何も知らないのだ。
まあ、まだ5か月なんだから、と思い直す。ゆっくりで充分だ。

 

半年の記念日には写真を撮っておいてあげようと思う。まだ万歳で寝ているところをこっそり撮れたらいい。