ブログを書く理由
身内の恥をこうやって晒すのはどうなんだろうと思うのですが、まあアクセスもないしというのはあまり関係なく、いいのか悪いのかどうでもいいのか、ちょっと考えてみた。
わたしが書くことが本当のことかどうかはわからないけれど、全くの作り話になるのかもしれないけれど、今までどおりゆっくり書いてみようと思う。
ドライブレコーダーと副題をつけたのは、時間がたてばたつほど何が起こったのかわからなくなりそうだから。
記憶はストーリーなんだってセンセが言ってた。
センセはお世話になったひと。先生というと嫌な顔をされそうなので、センセという記号にする。
id:inujinさんのブログが好きでよく読んでいるのだけれど、
サードブロガーになったらどうや、ほれ、そこのアンタやでえ。
と書いてらっしゃいましたが、これはそのまま私だ。ちょっと嬉しくなった。そう、SNSじゃー書けないことが書きたいのです。
自分で鬱々と思っているだけでは限界があるのでわざわざ文字にする必要があるんだと思う。
なんとなく公開前提の方が書きやすいし。
それから、パブリックに書きたい記事がひとつふたつあります。これはそのうち書きます。
素直に悲しみにくれることが忌引きでやるべきことだと言われた。それが悼むことだと言われた。一度思いっきり泣いた方がいいよと言ってくれたひともいた。
私は自分が泣けないことに苛立っているんだと思う。
わたしの中で憧れだった祖父が亡くなり、父もまるで後追い自殺のようにいなくなった。
それを私の所為だと責められて、きっと自分でもその通りだと思いながら、でも私は毎回弁解した。
私の所為じゃなかったんです。仕方なかったんです。一生懸命やったんですけど。
この言い訳を一番言い訳だと思っているのが自分なんだと思う。
何があったのか書きたいと思った。
そうやって自分で自分に弁解したいと思ったのかもしれない。
バカみたいだと思うけど、別にダサくてもいいや。普通に喪女だし(泣)
それから、死について考えている記事を最近よく読むのだけれど、まんま今私が考えていることと同じことを皆が考えているのでびっくりする。
きっとそういうことばかり考えているからそういう記事ばかりあるように思ってしまっている状態。じさくじえーん。
祖父は90代でもうヨボヨボのおじいさんだったけど、ずっと独り暮らしを貫いて、恰好よかった。
孤独死にはならなかったけど。
でも、死ぬときを選んで死んだんだと思う。
病気の場合、意外に、死に際って、皆選んでいるなって私は思っている。(勿論事故死とか災害死は全然別ですよ)