水分との戦い(1200ml/日)
続きます。
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前回父との対話(8年越し案件) - ドキドキしちゃうまでのあらすじ:8年越の対話。ようやく父に謝れた。わだかまりは・・・?
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<ながされてない?>
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父と、和やかに話をした。
色々な話をした。
わだかまりは、なくなったように思えた。
少なくとも、二人の間には。
「トイレ、手伝ってくれるか」
当然のごとくに振舞っていた父の台詞が変わった。
驚いたけれど、邪魔にならないように、自然に振舞うように、いつもどおりに手を貸して、順番に作業を進める。
それはそこにおいておいてくれ。
私の不手際に対する文句以外で父から作業について指示されることは初めてだった。父は、自分でやろうとしていた。何もなかったみたいに従って、黙っていたけれど、涙を抑えるので私の中は大騒ぎだった。
おじさん、
ちゃんと、おじさんの言葉はおとーさんに通じたんだと思います。
話してみて意味のないことなんて、全然なかったです。
私が間違ってました。
何を言っても伝わらないなんて、もう諦めるしかないんだって、、、おとーさんは、そんな嫌な人間じゃないです。でもどうしても私には出来なかったから。動けなかったから。
ほんとうに、おじさんのおかげです。
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数日おきに、医師から血液検査の結果を聞いた。
色々と着目すべき項目はあったのだが、
血中のナトリウムが一定量以下になると、意識障害が出ます、と言われていた。
そして、意識障害が出たら、もう長くはないでしょう、と。
意識障害って何・・・
ググってもよくわからなかったけど、意識が低下して意思疎通が出来なくなることを言うらしかった。
当時もそんなこと言ってますw 多分辛かったんでしょうね。
肝臓の働きが全くなくなると、次にその負担を引き受けるのは腎臓だそうだ。
腎臓のはたらきが落ちると、原尿からのナトリウム再吸収が阻害され、低ナトリウムが進行する。確かめることは今更されなかったけれど、SIADHという病名が疑われていたそうだ。病名なんてどうでもよかったけれど、その名前だけ覚えておくことにした。
そして、腎機能障害により、そもそもの尿の量もどんどん少なくなっていった。当然体内の水分量が上がるとその分ナトリウムも希釈されるため、お茶だのジュースだのの摂取記録は必ずつけるよう指示されていた。一日1200mlという設定は意外に本人大変ではなかったようだったけれど。
なのに、父は常時点滴に繋がれていた。
尿が出ないのに水分補給を延々とされ続ける。
行き場を失った水分は、腹水として体内にたまりつづける。妊婦どころじゃない位に、父のお腹は膨らんでいった。何リットルも。カエルみたいに。
もうむくみというレベルでない位の水ぶくれがくるぶしや足首にグロテスクに現れ、お見舞いするたびにしていたマッサージも禁止になった。
見ていられない、点滴を減らしてもらえないのか、と母はよくこぼしていた。
それはできません。
点滴をやめた途端にナトリウムが低下して意識障害があらわれてしまうのです、
病院側が一体何を言っていたのかは、今になってもよくわからない。
いや、よくわかるけれども、
私はわかりたくない。
私は残酷の意味を取り違えているのだろうか。
腹水を抜いてもらった瞬間だけ、父は楽になることが出来た。
今日は腹水を何リットル抜いてもらったのよ、
そういって喜ぶ母が悲しかった。
いつ急激に意識障害が始まってもおかしくありません、もしもの覚悟をするようにと言われた。
父との対話はそんなぎりぎりの世界だったのだ。