ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

ひとりでできるもん(読書感想文にトライその前に)

駅前は毎年のことだけれどもイルミネーションが輝いている。クリスマスはだいたい残業しているような気がする。
ぼっちだということがあまりにも自然なせいか、クリスマスに予定がないことを自嘲や冗談にすることさえも飽きてしまった自分を少しさみしく思う。単なるノスタルジーだ。
いや待て、あきらめるな、仕事をさっさと終わらせて無理矢理定時に帰るとしたらどうだろう。そうしてすごく久しぶりにジャズ喫茶にいくのだ。平日なのにありえないことだ。ドキドキしてきた。もっと久しぶりに亡霊さんを見れるかもしれない、でもイブなのに寂しい女だと思われるのはちょっと嫌と思うし、亡霊さんがイブの日にバイトなんてーのもそれはそれで悲しくなるかもしれない。こういうくだらないことに本っ気で悩む、ココすんごく重要。

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今週後半あまりよろしくないことには(アンフォーチュネイトリィ)ちょっと落ち込んでいた。

うっかりカミュの異邦人を読み返して色々キてしまったんだ。
中学二年生のときに読書感想文の宿題のために自分で選んで買った文庫本。
感想文を書く前に、きたないところだけチラ裏として思いっきりゲロってしまおうw


私は、長いこと「自分の言葉で」フラグが立つと何も書くことも喋ることも出来なくなるという恐ろしい魔法にかかっていたため、読書感想文なんてもってのほかだった。本を読むことは大好きだったけれど、その感想は面白かったか面白くなかったかの二択で、「なぜそう思ったか」は全く説明できなかった。国語のテストから記述問題がなくなればいつだって100点なのにと思っていた。他のひとの作文をいくつ読んでも、自分では全く出来る気がしなかった。

今は出来るということでもない。かなり苦手な方だ。(だからブログで練習してるんだけど。)小学生や中学生の書く文章を読むと今でもほんとうにすごいと思ってしまうし、今でも他のひとのブログを読むとどうしてこんなに論理的なことがさらっと(に見えます)書けるんだろうと感嘆することがものすごく多い。
こういう何も考えていない文章は結構書けるようになってきたけれど、リアルではやっぱり自分の意見表明の必要がある場面が苦手なままだ。何か結構なことや少なくともそれっぽいことを言わないといけないという脅迫観念が強すぎる。自意識過剰の自己中心的認知依存症が今のところの私のアイデンティティってそんなの嫌すぎるわw
対人関係もダメダメ。その欠点(と思われた点)を調子よくヘラヘラと隠すことだけうまくなった。
嘘に嘘を重ねて調子だけいいから、第一印象のよさだけには自信がある。
マジメ系クズという言葉を知って衝撃を受けたのは最近。それなんてわたしだ。うまいこというよねーみんな。

68: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2012/03/26(月) 06:40:12.99
バイトとかでも最初は真面目で仕事出来る奴に見られるけどそのうち仕事出来ない事がバレて相手にされなくなる
70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/03/26(月) 06:41:08.63
>>68
うわあああああああああああああああ!!!!!!!
うわああああああおおおおおおおおおおわああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!
「真面目系クズ」というのを知った 俺すぎワロタwwwwww

ほんっとにこんな感じで笑ったwww

 
だから、ずっと、自分の意識では、自分の意見というものが全くもてない空っぽな人間だと思っていた。
しかもそのことに対してきちんと向き合ってこなかったので、一番ひとが自由に学ぶことのできる大学時代というものをこの点において随分無駄にしてしまったと思う。やる気がなかったからとにかく逃げつづけた。レポートのある授業をとにかく減らして、試験で済む単位を求めた。唯一好きになった安全保障の授業でも、やたらと熱心にノートを取っていたのに、各回必須だったレポートは最低回数しか出さないという意味不明な生徒で、先生からこれでは一番悪い成績しかつけられないが大丈夫かと電話がかかってきた。先生が親切すぎることに本当に驚いて慌てふためき「単位さえいただければ何でも構いません」とか何とかいったら本当に一番悪い成績になった。他の科目もからっきしだったし大学の成績なんてもう一生関係がなくなることも当時からよく知っていたからどうでもよかった。だからこれも単なる黒歴史にすぎない。
大学はそれだけではないし、私の学生生活が無ではもちろんなかったけれど、貴重な学習環境をスポイルしたことは本当にもったいなかった。どんなに苦手でももう少しだけでもちゃんとやれたと思う。

安全保障の教科書はゆっくりだけど就職してからも読み返していて、やはりとても面白い。ひとよりもだいぶ出遅れたのかもしれないけれど、大学で、こんなに興味のある分野に出会えたことや、少なくとも基本的な考え方のインプットだけは出来たこと(にしておかないと悲しすぎるのだ)、それは幸運だったと思う。もっと勉強したいし、更に言えばそれが出来る環境にいるのだ。

異邦人の話に戻る。
とにかく中二のときのその選択もまた大失敗だった。さっぱり意味が分からなかった。すごいとも、面白いとも思わなかった。これでどうしようと思ったことだけ覚えている。結局この本を題材に読書感想文を書いたのかは不明。宿題はちゃんと出せたのかしら。
こんな風に書いているのは、異邦人を読んで、(ようやく)ちゃんと感想を持てそうに思ったからだ。



正直言ってものすごく動揺した。
主人公にがちっとはまってしまったんだ。
人間失格だ。
あの主人公は人間失格だ。
太宰の人間失格は私みたいにヘラヘラした奴が主人公だが、異邦人の主人公はそこまで過剰に媚びへつらったり道化じみた真似はしない。けれど、基本スタンスはそっくりだ。
太宰のそれほどには嫌な(露骨な)書き方をしていないけれども、特に第1部(主人公が殺人を犯すまでの経過)の描写には反吐が出るかと思った。
太宰の人間失格も一年前位に読んで本気で吐きそうになった。太宰のやりくちはかなり「そう思わせる」書き方をあえてしているところあるのではないかと睨んでいて、それが正しければ私は太宰の意のまま翻弄されたといっていい。
対して、異邦人では、淡々と主人公の内面描写に徹している。そこにはちゃんと考えた経過がかかれているように見える。でもそれは一見、あくまでも一見だ。「こう思ったから、こうした」「こうなった、だからこうした。こうだった。」とかなりすべての行動に対して丁寧すぎる位に理由が描写してある。でも、違う。全然違う。それはひとつも理由になっていない。
よく読むと、その実単なる反射にすぎないものばかりで、自分の意思というものが薄すぎる人間としてかかれている。




そして、
今書いているこの文章こそ反射というもので、
空っぽの主人公に空っぽの自分が完全に投影しているだけだ。


ずっと、こんなやつ死んだほうがいいと興奮しながら読んでいる自分に気がついて、つまるところ自分は自分を許すことがまだまだ出来ていないんだなと思った。一体これはどうしたことか(もう悩んでないのーとか言ってなかったっけあれれれれーってねw)
なんでしょう、感想文を書くのは頭を冷やしてからにしたいのです。
是非とも中学生の自分にリベンジしたいのでぜひ書きたいんだけど、こういう予告しておくとサボらないで済むかなと思って(笑)

異邦人の主人公は単独者ではないように私は思う。
でも、ラストシーンでわからなくなった。あそこはわからないように書いてあるんだ。やっぱりカミュにも翻弄されているだけか。これがいわゆるひとつの悔しい感じちゃうッてやつだ。修業が足らん。

 

ここはあれ、あれです、向かうべき解(=正解)これだけはっきりしているんですから暗いけどー別に悩んでないしーというはったりで切り込んでいきましょう。

空っぽな人間なんている筈がないのです。

あの話に救いがあるとしたら、どうなるんだろう、そこらへんもう少しまとめてから感想を書く。

 

 

※ネタ元じゃないけど、この記事(⇒ 読書好きの女子のファッショ)大好き、「本気でキャラを憎み、愛し、そして自分語り」本当に自然にそうなっちゃうんだよねw でも、私は理由を探します。めんどくせーーーw

※感想文が次回って訳ではないですよ、、、こういう予防線も忘れないことすごく大事w