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カミュ「異邦人」を読みました(粗々読書感想文)

カミュの異邦人を読みました。
実存主義文学の金字塔と言われつつもちゃんと読んだことがなかった。
物凄く殴り書きで全然まとまってないけど、まあ勢いということで。特に考察まで落とし込んでいないガチな感想文となります。
装丁(構成)に時間を割くモチベーションがなくてごめんなさい。(推敲ゼロというか文章が雑すぎでいつも以上に読みづらくてスミマセン)
7000字以上あります。びっくり。

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 

<超盛大にネタバレなのでご留意ください。ミステリじゃないのでバレても無問題かと思ってますが念のため隠します>

 【あらすじ】めんどくさいからWiki先生を召喚します。無駄なところがない、さすが!

アルジェリアのアルジェに暮らす主人公ムルソーのもとに、母の死を知らせる電報が養老院から届く。母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。葬式の翌日、たまたま出会った旧知の女性と情事にふけるなど普段と変わらない生活を送るが、ある日、友人レエモンのトラブルに巻き込まれアラブ人を射殺してしまう。ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では母親が死んでからの普段と変わらない行動を問題視され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。裁判の最後では殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と述べた。死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄から追い出し、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする。

異邦人 (小説) - Wikipedia

 
まずですね。
コレ完全に自分だけのために読みました。自分のための「お話」としてこの本を読みました。
つまり、主人公ムルソーさんの境遇はそのまま受け取るので、そっちには云々しません。
何のことかと言えば、あらすじ通りで、「人を殺したことをきっかけに、母を悼まなかったことに対しての死刑宣告を受ける」という理不尽極まりない(ように見える)境遇、その舞台設定に対しては特段の感想持ちません。あー、そうなるわな、で終わりです。
(そのことに関してどう思うかについては書きたい欲求が今のところ特にない)


だから、ムルソーさんてどんな人っていうところから始める。
この人は、基本「今」しか見ない。冷静に、状況を観察・分析。周囲のみならず、自分の行動についても一旦妥当か否か照らし合わせて常に考えて次なる行動を決定する。
でも、自問自答は常に毎回始めの一回だけなの。

「誰がどうしたから、こうした。どうなったので、こう言った。それを受けて誰々は、~~と言った。妥当なことだと思った。」
ずっとこんな感じの観察記録みたいに淡々とストーリーが進んでいく。
勿論感情がない訳ではない。
海で泳いで「解放感を感じ」たり、女に「欲情した」り、勿論する。何かあると「いやだなぁ」と思ったりもする。でもそれらについてもとにかく淡々としている。全ての感情が、儚い。自分で儚いものにしている。

本当は自分の意見もある。
彼は、夕方の終業よりも昼休みに入るタイミングの解放感が好きだという。
その理由は「会社のトイレの回転式のタオルが終業時間はもう乾いているところがなくってびちゃびちゃでなんか嫌」だから。割にきれい好きなタイプですね。
しかも、そのことを愚痴ったりしない。
ちゃんと上司に、「あれ不潔なんで昼にも変えるとかしましょーよ」って一回は言ってみる。
でも、「そんなくだらないこと気にするほうがおかしい」と言われると、
「それもそうか」となる。そのまま。
本当はちゃんとタオル変えてほしかったのに。

万事が万事、この人はこんな感じ。
人が悩んでいると的確にアドバイスをしてみて、違うな、単純に聞いてほしい願望だなとわかれば延々と聞いてあげたりする。「聞かない理由がないから」と飄々と。
差別もしない。意識的か無意識的かわからないけれど、とにかく誰に対しても平等。

みんなに「誠実で頭がいい」と言われる。

マリイちゃんという恋人もいる。
マリイちゃんは普通に結婚願望があって、彼から愛されたいと思っている。
ムルソーはそんな彼女を甘い嘘でごまかしたりしない。
あくまでも誠実に、
「結婚したいならしよう。結婚なんてどーでもいいからしてもしてもしなくてもいいんだし。君のこともぶっちゃけ愛してないと思うし」
とか言っちゃう。何それって思うけど、良くも悪くもすごく誠実。ここも同じ。「結婚しない理由がない」。
彼女は「そんな変わり者のあなたが好き」でやっぱり悲しそう。「きっとそのうち同じ理由で嫌いになるわ」これはすごくよくわかる。好きと嫌いは同じ理由だし、恋は落ちた方が負け。マリイちゃんどんまい!

ムルソーさんは、ある日、うっかりアラビア人をひとり殺してしまう。
唯一、彼が理由を説明できないことが、これ。
読むと、ここのシーンだけ完全に行動だけの記載になっている。どう思ったが全くなく、「眩しかった」「暑かった」だけ。
絶対に差別をしない彼が、無意識にせよ「こいつは殺してもOK」判断をした事実から見ると、アラビア人に対する差別感情だけは奥底にあるのかもしれないと怪しく思ったけれど、明らかなことは何も書かれていない分そこはわからないしわかる必要もないと思った。アラビア人に対する彼の観察記録(いくつかあってどれもちょっと特徴的だったと思う)をもっとよく読むと書いてあるのかもしれないけど、これは示唆だけにとどめておく。


彼は、殺人の罪で拘束される。

彼は、自分が何をしたかの理解を全くしていないように見える。
自分が人を殺したから「人殺し」と思っている訳ではなくて、人から「殺人者」呼ばわりされたことを根拠に自分を「人殺し」認定している。
私がこう読んだのは、何でもよく考える彼なのに、殺人を犯した後に被害者についての述懐だけなぜかゼロであることが根拠。(ここが、薄ら湧いたアラビア人だからどうでもいいのかな推論の根拠。)
「俺はどうしてあいつを殺したんだろう」とは本当に一度も考えない。
こんなことってあるのか。
ある。
覚えてない場合だ。
銃を何発撃ったという行動の記憶と、人を殺すということが乖離している。
彼がしたのは「撃った」ことであって「殺そうとは思ってなかった」と矛盾はない。彼の中では、ね。
だから自分の行動を説明できない。
覚えてない。

素直にそういえばいいのに、彼は「わかりません」が言えない。
しかも彼は、「過ぎたことはどうでもいい」と考えている。今にしか興味がないから。
「俺って全然後悔しないタイプなんすよ」というセリフもある。
(いやいやいや、そこはしようよ、と突っ込みたいけれど我慢して、)
で、どうするかというと、
めんどくさくなって、黙り込む。
めんどくさいは、真理ですよ。でもね、そりゃあ全員、はぁーーーーー(溜息)ってなるよね。当事者は誰なのって、

かつ、彼自身何かしらの理由はあると信じているから、自分のことがわからないわけがないと信じているから、一応理由を探す。でもわからない。で、適当に「太陽のせい」だなんてでっちあげをしてみる。
彼自身、事実そうとしか思えてないし、ある意味でそれは事実だから。

(まあここは、判事や弁護士の思惑も錯綜して余計にこんがらがるところなんだけど。彼もちょこちょこと「被告人は私ですけど」とかもやもやするけどちゃんと聞いてもらえないからまーいいやと諦めてしまう)


自分のことだという当事者意識が極端に薄いから、どうなったって、彼にはどーでもいい話なのだ。
だから、死刑と言われてもはいそーですかとなる。
弁明しようとすら、一度もしない。
彼は「何も言わなかった」自分の責任というものもちゃんと理解している。
皆がどうしてそういうことを言い出すかも、わかっているから、自分の境遇も当たり前の結果として受け止める。誰を恨むことも勿論しない。淡々と、流されていく。
聴かれたことに、答えただけで、彼は何もしてない。
だって何もしていなかったんだから、
何か言った方がいいこと、がそもそもない。
で言わないことで皆の勘違いが増大していくことを、そのまま観察していた。

「自分でも何であんなことしちゃったんだかわかんないんだよね」が誰にでもあるということをムルソーは理解できない。人間の行動は何でもロジカルなものだと思っちゃっているから。
理由なんてなかった。
でもあまりに落ち着いた態度に、みんなは勘違いしてしまう。そんなあまりの意味不明さにみんなが出した結論は、悪魔を殺せという魔女狩り裁判。


彼は「自分は世間のひとと一緒なんです、母親のことも“普通に”愛していた」と繰り返す。
それが彼のスタンダードだから。
彼は、自分がどんなに世間からずれているのか、特殊な人間なのか全く全然わかっていない。

この人は母親の手ひとつで育てられて、父親の思い出が殆どない。
母親には「ひとはどんなことでも慣れてしまうのよ」と言われて育った。
「誰にもあてにしないで一人自立して生きる」母の背中を見て育った。
彼にとってはそれだけが真実なのだ。
30過ぎても、彼の母親は彼の中で「母」や「お母さん」でなく「ママン」だ。
(ここはかなり訳者さんの意図を感じる、その仕事に脱帽するし、作品の日本における一番の理解者であろう訳者さんと同じように読めているという私の自信の裏付けにもなっている部分)
その絶対的存在の言葉だけを頼りに、彼はどんな状況にも、刑務所にも死刑判決にもしなやかに順応していく。

彼は愛する母の死を嘆いたりしない。勝手な理想像に泣いたりしたら、それは死者への冒涜であると考えているんだと思う。そんなに簡単に人の死を語ることが彼には出来ない。人それぞれに事情があり、思いがあり、それぞれに同じ価値があるから。このことは、彼の中では理想ではない。当然だと考えている。だってそうだから。
皆同じ人間だから。
そして、無邪気に、そう皆「も」理解していると信じている。これが彼の一番の過ち(誤解)。


「僕は違うんです」
こういう説明を一切しないのはできないから。
説明しないから(違う自覚がないから説明する気がそもそもおきない)、どんどん話がこじれていく。

「いつもそうするのだが、よく話をきいてもいないひとから逃げだしたいと思うと、私は承認するふりをした。」
これです。これをいつでもどこでもやっちゃう。判事も弁護士も、どんなに真面目に事件に向き合っていても(作中の判事や弁護士がそうだったという意味ではないですが)、被告人の彼だけやる気のなさ全開。弁護士だってこれをやられたらバカにされているように感じて、仕事へのモチベーションを失ってしまう。自然現象でしょうこれ。
だめでしょ、それは。なんで、承認するふりをするの。自分からこじらせるの。自分のこと、でしょ。
「めんどくさいから」
全然だめ、このひと。
やる気がないってDisっているようだけれども、無意識にそうなっちゃっていて仕方ないのはそうなんです。
弁護士がトンデモで、
「あのね、きみねぇ、どうしてそんなに当事者意識に欠ける訳、それじゃーぼくだって弁護のしがいというものがなくなってしまうしそれはぼくにとっても悲しいことなんだよね正直ね、どうにか裁判に協力していただけないか。一体自分のやったことに対して君がどう考えているんだ。ここ教えてくれないと僕が本気で困るんですよ」
って彼に「相談」してたら全然違ったかもしれない。
それじゃーこのお話は成立しない訳ですが。

刑務所で暇すぎた彼は、落ちていた新聞の記事を数千回読む。
「出稼ぎに出た男が村に戻ってきた。地元の村で母の営む宿屋に意気揚々と帰ると、母は息子だと気づかない。男は母をからかおうとお金をみせびらかして一室借りた。その夜、母は息子を殺してお金を奪う。殺したのは息子だと判明し、母は首を吊った」
これを受けて彼はこう結論する。「ひとを安易にからかうべきではない。男は殺されて当然のことをした」
数千回読んで出した結論がこれです。数千回って。
浅すぎるでしょ。~~すべきって結論で安易に思考停止するなよ。
「あんたって人はなんでそーなの」と深ーい溜息しか出ませんでした。もっと、あるでしょ。ひとの営みってものが。
彼は自分のことを「ほんとうの想像力がない人間」だと思っている。
自分がひとと違う事をわかってんじゃねーか、或いは、本当の想像力なんて幻想なんだとどうしてわからないのか、
私は自分の鏡像に空しく憤慨する。


彼の友人やマリイちゃんは彼がいかにいい人間か、証人として語ろうとする。
でも誰もうまく説明できない。でも、どうにか彼を助けたいみんなの気持ちは、彼に伝わる。
全然人というものを理解できない彼のココロが動く唯一の場面で、泣きそうになった。
証人は全員自分の無力を嘆いた目で彼を見る。彼は、愛されていた。


「どんな状況にも人は慣れるものだ」
これは彼は何度も何度も言うけれど私はこれは彼が得意とするレトリックだと思っている。
現状を受け入れるためのレトリック。
彼はこれひとつで、受け入れたくない現状も、何でも飲み込んでいく。
「めんどくさいから説明しなくていい」
これは彼の本音ではない。
理由になってそうで全然なってない。
他に本音が隠されていると考える根拠は、ストレスがかかるシーンで彼の頭がガンガンしたりぐったりしたりすること。
それから死刑判決を受けたのちにどうやって逃げ出せるかついつい考えてしまうシーン、あっちは本音でしょう。彼はその「死にたくない気持ち」を必死で抑圧するために努力し、努力が成功した方法を少し自慢げに語る。
「特赦請願を出す願望を一時間も封じてやったぜ」
彼の本音が、気づけ、気づけと頑張っても、彼は全然気づかない。
バカか。

そんな彼はもちろん無神論者。
死刑囚となった彼は、司祭の訪問を頑なに拒否する。時間の無駄だから。
なのに「彼を神の愛で救いたい」と勝手に「来ちゃった///」萌え系司祭のとんちんかんな話に、彼は遂に、キレる。ブチ切れる。
ふざけるなてめーのつまんないお説教はクソだぶっ殺すぞ、と漸く自分を全部出すことが出来る。
物語の最後にしてようやく彼の本音が「喜びと怒りの入り混じったおののきとともに」舞台にガツンと登場する。
俺はお前らとは違うんだ、と。
ずっと言いたかった本音。
このシーンのためにずーーーっと淡々と抑えた筆致で書かれてきた効果がもたらすこのカタルシスこそがこれが名作と言われる所以なのだと思う。
私は、単独者としての覚醒シーンと捕えた。
皮肉なことに、彼がずっと抑圧してきた本音をサルベージしたのは、無神論者の天敵カソリックの司祭だった。

彼は、語らないために死刑になるのだと、
その道を選んだのはこの俺自身なのだ、と司祭に向かって力強く宣言した。
流され続けてきた彼が、自分の境遇をようやく自己責任(=彼の自由)として掴み取ったのだと思う。

このとき、刑は、受けるモノではなく、自ら望んで得たモノに転換する。

「僕はみんなと同じ人間なんです」彼とみんなでこのセリフの意味が全く違うのだ。
その違いこそが、価値(ユニークさ)である。自分の価値を発見した喜びに、彼は幸福感でいっぱいになる。
この違いすなわち自分の存在価値をより鮮明にするために、彼が心底必要とするのは、死刑の際の憎悪の叫び声。

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全然勘違いかもしれないけれど、私はこれこんな感じのお話だと思って読みました。ゲロはきそうだったけど一気に読んだ。
主人公のあまりのダメっぷりに完全に投影してしまった自分にどんまい。
ムルソーさん、私はあなたのようには絶対にならない。素晴らしい反面教師として採用しましょうw 覚醒シーンはかっこいいし羨ましくもあるけれど、いかんせんそりゃ遅すぎだ。

私は本気で彼に嫌悪感を覚え、彼の人生に心底共感してしまった。
だから、たらればは沢山ある。
「あんたの話はどーでもいいから死んだ母親に早く会わせてくれ」と養老院の院長につかみかかって、
母親の死になぜ泣かなかったなぜすぐに日常に戻れるのだ母を愛してなかったのか、と聞かれたときに「ふざけるな、自分は自立した人間だ、安易に泣かないことや自分の人生を生きることこそが死者への尊重の表明の仕方なのだ、死者を泣く権利は誰にもないのだ」と怒り力説し、
殺人に対して「あの時はどうかしてた」と認め「本当に自分でもわけがわからないんです無茶言ってるのはわかりますけどどうか信じてください(泣)」と正直にいっていたら。
きっとだけど、みんなだって「なるほどそーなんですか(あんたは変わり者だ)」で収まる話だったんじゃないのかな。
別にこの位に表明したって、しなくたって、周囲の評価は変わらない。もともとマリイちゃんは「あなたの変人なところがラブ!」なんだし、「本当にあんたってひとはそーいうやつだよw」で終了なんですよね。
(ぶっちゃけちゃうと、それだと小説というかおはなしにならない)

あの話がその後どうなるのか、私にはわからない。勿論そのままでもいいんだけど、、

願わくば、本気でこの後特赦請願に死ぬ気になってほしい。
もしくは、自分の犯してしまった殺人について考えなおして、その罪をそのまま受け入れることとして死ぬでも生きるでもどんな形でもいいから彼なりの落とし前をつけてほしい。

カミュのテーマ「反抗的に生きる」と語られますが、私の理解は、それは全てに(矛盾するようですが、矛先は主に自己となります = 向き合わないとならないテーマって常にその環境(現実)に自分がどう応じるかってことだけだから。)「なぜか」と問い続け、疑義があれば「それ違うんじゃないの」とするスタンスのことです。(全然違うよ、と言われそうで怖いですねw)
みんなと違うスタンスをとるひとが単独者ではなく、
自分を含めた全てを疑い、その中から自己責任で自分の運命を自由に掴み取っていくスタンスをとるひと(全てに反抗するひと)を単独者と呼ぶのだと考えている。私の目標です。
単独者としての生き様はどんなものとなるのか、その回答は「ペスト」に描かれているそうなので、期待。

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感想は以上です。

無駄に長いのに、ありがとうございました/////

日記より恥ずかしいレベルは上ですね。