ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

暴力はコミュニケーションか考えてみたけど零点、やり直し!

考えてみたら、前回の話はそもそもお題からして全然おかしいということがわかった。
頭の悪い女の頭の中をそのまま文字に起こした読みづらくて内容も非常に薄い文章を他人のあなたは今どんな気持ちで読んでいるのですか。私にはそんな人間のことがさっぱり想像もつかない、全然わからない、あなたはでも実在している、きっとそれは相当奇特で貴い男の人だと思うしかない、だってまともな女の子なら(或いはまともな男)こんな無駄な時間は絶対に凄さないもの、だから例え明日のあなたがいつも通りに紙の上の女に丸をつけるのだとしても私はあなたを貴兄と呼ぼうと思う。お題がおかしい、なんだそれ、って貴兄が呆れはてるお気持ちも痛いほどわかります。そういう片が多数だと思うしそれが正しい反応ですからどうぞご安心を、

えっとですね、
そもそも暴力とはなんぞやというところがわかってなかったんですよね、
言葉遣いには気をつけなさい、ということです。
よくわかってない言葉を安易に使うからどんどんおかしくなるのです。

暴行 = 暴力+行為 → 暴力を行使する(ふるう)こと
暴力 = 暴く力 あるいは 暴れる力 

と考えてみれば簡単に、暴力と暴行を並列にしちゃいかんでしょ、ということがわかりますね~何やってんだか、
レモンちゃんはあまり考えなしに動くタイプなのでこういうことが起こりがちです。いい悪いは抜きにして、そういう信用のおけないタイプの人間なのです、いい悪いは抜きにして、
「悪口にしか聞こえないよ!」

「暴力は能力のひとつ」と考えた方がいいかもしれない。
暴力をどう行使するかは、各人の武器の種類による。

剣をふるう戦士はもう古くて、
ペンのほうが強いとか言ってるのがブロガー
陰陽師は言葉を呪として使う必殺系の能力者だし
ルックスを武器にするだけではモテないらしいけどそんなの強者の理論だよね

まー各人がそれぞれ様々な能力をお持ちで、
(私はどうかといえば多分開き直りとか言い訳とかそっち方面になっちゃうんだろうけど、、ブロガーはみんなコトバつかいだし日本人はだいたい日本語使いだ)

で、バトルロワイヤルちゃんと読んだことないくせにいっちゃうんだけど、あれ、全員が「別の武器」を持っているというのに意味があると思うんだよね、
武器を何も持ってないひとはいない、、、
かつ、同じ武器を持っているひともいない、
だから私は延々と自分を知る自分を知るとか言ってるんであって、

私の場合、
ここでかなりの確率で「でもでもだって私には」が出てくるのですがー

私は自分には何もないと思ってるのも事実なんだけど、それは嘘なんだということを、いろんな人がいろんな方法で叫んでいるし誰かに向かって同じ台詞を自分で叫んだことすらある、
自分の考えはたいてい浅はかで信用できないけど、自分で見た記憶と経験は実際にあったものだ
私はよく知りもしない自分の言うことより私の信頼している人や尊敬する人の言うことを信用してみることにした
どうやら何かがあるらしい、
噂では

   ■

話が逸れたので暴力に戻りますが、

暴力って何か・・・
彼を知りー己を知ればーを持ち出して、暴力に反対しているひとに聞いたらわかるのではないか
「暴力反対!」
といっている人ってぶっちゃけ何に反対しているのか?何か嫌なことがあったの?
・・・という方向で考えてみると、
暴力とは「相手の自由を奪うこと」ではないでしょうか。

自由と責任は実際のところ裏返しになっている同じコトバなんだけど、ばらかしていうと「行動の選択肢を選ぶ権利」かなと考えています。

暴力は、「相手がその行動を自由に選ぼうとする権利を奪おうとする行為」
どうかなー、それっぽくなってきた気がする。

そういえばせんせが言っていたのだった
「誰かが嫌だなあと不快になるとき、そこには誰かの権利が侵害されている絵があるのです」なんて。
私はそう言ったせんせーの顔を覚えていないしもっと言えば名前だって忘れてしまった。そしてせんせーのこれ以外の言葉も何一つ残っていない、
あれからもう8年もたったからそれも仕方ないと思う、
でも私はこの言葉をこんな風に時々思い出して、そのたびにこうやって得心する。

そうだそれが暴力かもしれない、
権利を奪うことの出来る力。

人が嫌だなあと思うとき、行使する者の意図に関わらず、しかも対象者でない第三者が暴力にさらされる可能性がある。
なんだか環境型ハラスメントの様相を呈してきましたね、、

暴力は、第三者にも及ぶ力なのかもしれない。暴露という言葉もある。暴いて見せつける、ジャーナリストも第三者性とかいうけどそういう意味では暴力的だ。(そこに問題がないのだとしても)問題を発明して関係ないひとをわざと傷つけるんだから、
そうやって問題の存在を証明する = 暴く。

まとめると
暴力は、誰かを傷つける力 といっていいかもしれない。
傷つけることが出来る位だから、強い力なんだろう。

   ■

これを踏まえて、ちゃんとしたお題を立ててしきり直します。

「先生、暴力をふるうって事がコミュニケーションたり得る場合なんてあるのでしょうか?!」
それにしても嫌な小学生みたいな台詞になっちゃったな・・・

何度でもおさらいしますが
コミュニケーションは
「他個体の行動の確率を変化させて自分または自分と相手に適応的な状況をもたらすプロセス」
です。
いいですか、プロセスなんです。進行・過程という意味です。

暴力は通常意図的なメッセージ(黙らせる、わからせる、)を含み、相手の行動の確率を変化させようとする試みですから、そのプロセスの一部分を担うものとなりうるでしょう。
暴力行使の外観は殴る蹴る暴言など形は問いませんが、その特徴として、相手の行動を抑える(自由を奪う)形をとります。
ですから、暴力をふるわれた相手は、通常、自分の行動選択の自由を奪われたと感じるとその行動に反発を覚えます。
これを暴力が連鎖するといいます。

北風と太陽といお話がありますが、これは太陽のように優しいひとになりましょうとかそういう話じゃありません、さしずめコートを脱がせる(=相手を変える)確率を上げるための暴力のふるいかた指南と読めることがわかると思います、
暴力を暴力と気づかせない方法論

   ■
コミュニケーションについて主に サシの勝負!をイメージして今まで話していたけれど、まさかコミュニケーションの大部分が暴力ってそんな話は・・・?じゃあ他にはコミュニケーションの一翼を担うものにはどういうものがあるか、

例えば、確認。
「リーガルハイ、見た?」「見た見た」または「えー知らないそれ何」
これは「周辺に危険がないか確認」している、やらないとシマウマは死ぬ系の必須コミュニケの一部。ねぇ、あなたもわたしもポッキーのガッキーって超かわいかったよねっていうかこれってやっぱり古いかな?

ただ、相当無理があったとしても、
「リーガルハイ、見た?」これを
「ドラマの時間に家にいれない私に対する自慢?!その言葉でどれだけ傷つくひとがいるのか考えたことあるの?!」こうとるひともいる。(やめてほしい)
そのひとにとっては邪気のない確認すら暴力になってしまう・・・

どんな言葉が暴力になるかはわからない。うーん、