ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

正岡子規より鶏頭について語りたいのです

特にいいこともよくないこともない日だった。
正確にいうと、いいことがあったはずなのにそれが意外にうまくいかなかったり、
失敗したはずがなんとなくうまくいってしまったり、
そういう謎のタスキガケがあって、なんというか腑に落ちない・・・まあまあまあ、みたいな一日だった。

こうやってぼかして書くと、どうせ後で読んだときにはもうなんのことだか忘れてしまっているだろうと踏んでいるし多分実際割に近いうちにでもそうなるだろうと思う。

書きたいことはたくさんあるけれど公共の福祉的に考えると内容的にアウトなものがそりゃあたくさんあって、、
うまいこと比喩とかなんとかもろもろの工夫をこらしてなんとかと考えているのだけれどひょっとしてこれは俗にいう昔の、、昔って、マジで政治犯が捕まったり打ち首にされたりする時代のさ、奈良時代からあるらしい狂歌とか、近代的に言うと新聞の風刺画とかそういうもののシンズイや技術を私は求めているということになるのかしらと思った。
自分内検閲をくぐる方法論・・・
やっぱりそれについて考えているとどうしても詩とかそういうものにいっちゃうんだよね、
それも、文字通りじゃなくって、裏からにじみ出て伝わるような、「なんかがありそうな」←詩の世界って、実際のぶっちゃけ内容の有無は全然関係なくて、「ありそうな」が重要になるじゃん。
自己満足でなんやかんや歌っていても誰にも伝わらないならネットにわざわざアップなんかしないでも独りでブツブツ言ってればいいわけで、
かなり私のブログはそれに近いし(日記ですから)、必要以上にわざとくどくやっている時もあるし、それで満足できる時も色々だけどー、
自分にだけ伝わればいいんならこんなにくどくど書く必要なんか
ない。

でー。
結局誰かしらに読んでほしくて書いているのは確定です。普通だと思う。。予想以上に読まれるとかそういう事態に変わったらまた違うのかもしれないけど多分ならないでしょうw

 

   ■

 

こんなんじゃあんまりなので、この話のネタ元にもなりうる正岡子規でお口直ししてね、(正岡子規も変な人だったみたいですけどやっぱりいいやつ多いんですよ)

 

 鶏頭の 十四五本も ありぬべし (正岡子規

 

鶏頭がわさーっと生えているってだから何やねんなんだけどだがそれがいいみたいな話

これがいいのは、
友人は戦地で活躍してるのに自分は結核で寝てるだけーで俺生きている意味あるのかなーでも鶏頭は生きてるんだよなあ生きる意味なんて考えちゃってさ俺はちっさいわ〜感動〜☆とかそういう話をしているんじゃないんだよね、
背景とかマジで関係なくって、ただ、
はい鶏頭ありまーす、鶏頭はいりましたー!10本、あ、足りない、ちょっと足してくださーい、はいOKでーす、そんな感じで舞台をつくって、観客に、その舞台をパッと見せる、それが俳句のやり口だと私は思うんですよ。
実際に彼の家の庭に鶏頭があるかどうかすら全然どーでもよくってさ、、
病床がどうのとかそういう話は各自がじっくりその見せられた映像(私は俳句を映像だと認識しています)を堪能して、それで話者(正岡氏)がネタバレとして「こんなシーンで思いついた話なんすよ」という、そーだったの感は俳句自体を楽しむのとは別の楽しみ方じゃん。
そっちは物語だよね、お話だよね、
佐村河内さんは実際に曲を書いてなかったのです!とかさあ
どーーーでもいいっていうか、
だってそれはお話にすぎなくって、、
「へー、そう」で完結しちゃう・・・

だってさ、この句なんかさ、読みなおしてほしいんですけど、
「ありぬべし」って貴方何なのと思うわけですよ。あるって、、しかも、べしって、、何。だって超いらないじゃないですか。俳句って基本17文字しか使えないんですよ。なのに30%近く意味のない言葉で無駄にしているんですよね、それってすごくないですか???
余計な説明をつけて「庭にあり」とかにしたときのしょぼさと比べてみてください。
なんとすてきな文字の無駄遣いだと思いませんか。この余裕綽々っぷりが何とも、あーーームカつくんですよ!このセレブが!
でもでもでも、十四五本「も」だから、思ったよりも多い雰囲気だけは出したかった、んだと思うんですよ。つまりこの映像は私的には、ケイトウを見つけてしゃがむ、マクロで始まってだんだん退いていく、空が画面に入りかけてフェードアウト、そんな感じの絵が見えるんですよねー
どう思いますか

、みたいな感想を誰かと話したくなる、この話したくなるレベルが上なほど、いい歌と呼ばれるんじゃないかと思ったりするわけです。

 

歌い手としては、
正しく共感として伝わったら多分それはうれしいんじゃないのかな、それとも「やられた」「ばれた」とか思うのかな、そうやってわざとぼやかして色々膨らませて喜ぶような変態的なひともいると思うけど。

 

俳句も短歌も、音楽でもなんでもいいんですけど好きなんですよ。
動いているものは広がるから。

(小説や映画もオハナシ全般勿論うごくからいいのだけど、観客の自由はだいぶ縛られていてしまうよね、と思う。それを破るひとがカフカとか、そっちの話には今日はいかない)

 

 

 わけいっても わけいっても 青い山 (山頭火)

超浮かぶじゃないですか、山www
抜けたくなるじゃないすか。当然気が遠くなって空見上げちゃうっていうか、で、、
抜けれそうだと思います?

 

   ■

 

延々と語っておいてあれですけど正岡子規について特に知っているわけではないです。間違いとかあれば色々スミマセン。坂の上の雲のドラマは面白かったしいつか読めたらいい、なあとは、思います(遠い目)

あとはこういう話をもっと詰めて書いたら面白いのかなーと思うんだけどなかなか時間がないから悲しいー。

カレンダー通りのみなさま、今週もあと3日間がんばりましょう。