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アニメ『俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している』を全話見終わった

ひょんすぎることからこの頃流行りの長いタイトルのラノベ発アニメを見ることになった。長タイトルに縁があるのはおそらく2作目の体験である。タイトルで頑張って書いたので、以下慣例に従い本作を「脳コメ」と呼ぶ。放映は2013年10~12月。今更感たっぷりだ。

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近頃のアニメは昔と違ってさすがに絵がキレイだ。映像だけ見ても、1話毎にかけるお金がないなりに、色々と楽しめる工夫が見える、そりゃあ2時間スペシャルなどの企画物と比べるのは出来なくとも、要所要所ではかなり凝った映像を挟んでくることもあるので十分に単体の作品としても楽しめると思う。

本作は当初エロアニメと聞いていた。そのため多少のドキドキというかビクビクもしたけれどもそれはさすがに常識的に考えて深夜枠は所詮オンエアレベル、特段女でも問題なく自然に楽しむことが出来た。男女問わず下品な方なら視聴は可能。後述のとおり私は特段おすすめしないけれども。

 

ここから今のところ全話見れます。概要だけ知りたい方はこちら(←二次元注意)

脳コメの設定は簡単だ。イケメン主人公ハーレム系学園ラブコメでだいたい紹介は終われるくらいのまーくだらないクソアニメだ。(あ、言っちゃった、)

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主人公:奏(かなで)くん(かっくいい!)

奏くんには人物設定としてかなり大変そうな縛りがある。それは絶対選択肢と呼ばれる呪いで、絶対に逆らえない且つわけわかめな選択肢が日常生活に突如現れ、平和な生活を脅かすのだ。

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主人公奏くんがエロ本を前に「①鼻をおしつけてにおいをかぐ ②食べる」を選ばされているシーン。かわいそす。

それは奏くん曰く、「最低な選択肢と更に輪をかけて最低な選択肢」で、選択自体に逆おうとしたり完遂をごまかそうとすると金冠よろしく耐えがたい頭痛に苛まれ続けるという、うん、まあ、いや他人事だから面白いよねみたいなそんな設定のアニメです。
ハーレムに所属する女の子はツンデレや妹キャラ、女王様、才媛、天然ぶりっ子と普通に多彩で、基本的にみんな主人公に実は憧れていて、そんな話はどうでもよろしい。

このアニメにおける哲学的着想は勿論、人生における絶対選択肢の存在である。人生は選択の連続である、この使い古されたような言葉は一体何を意味するのか、このテーゼをちゃかしつつそれがいかにリアルであるか提示した(おそらくは原作者の)技法に私は正直舌を巻いた。

女の子を前にした高校生男子が、「上半身裸で叫ぶか下半身裸で叫ぶ」かを無理矢理に選ばされ、この特殊な性癖のせいで変人扱いをされて冷遇されている光景はアニメのバカ話と一笑に伏すべきものではあるがしかし、この異様なデフォルメを還元すればそれは誰の人生も似たようなものだ。現在置かれている自分の環境は常に自分を規定している、それは勤務時間であったり、何かの期限でも家族の存在でも、全てが自分を規定するもので、それを合計すれば自分の個性の結果ともいえる一個人の人生の役どころが浮かび上がる仕組みなのだ。

ここで、そもそも選択とは何だろうかと考えてみる。のるか、そるか。どーすんの俺。何でもいんだけど、選択は常に時制が現在形である、これはどうやら確からしい。思うに、選択とは、時間の流れの中で唯一自分が現在を現在として感じ取れる場面ではないだろうか。過去の自分は記憶となり、未来の自分はまだ見えない。明日は次々に今日になるし、自分が生き物である限り、現在地すら常に動いている。いま、は捕えた瞬間過去になるゆらぎに過ぎない。
選択とは、おそらく、現在の時制と未来の時制をつなぐことの出来る唯一の行為である。
選択の場面に必要なものは何か。複数の選択肢、それから選択する者の存在である。
そして、その選択者はもちろん、選択肢を比較衡量し、自分に有利になるような選択を行うのが自然だ。ダーウィンの進化論を持ち出すまでもないだろう。(こういうことを言うと犠牲的なんとかとかいいだす人がいるかもしれないが、情けは人の為ならずで抑えます)

重要なことだが、選択肢は複数でないと選択肢とは呼ばない。当然、選択肢の価値はイーブンである。(丁か、半か)
選択肢に傾斜のついた選択について、そこに選択肢があったとは言えないのだ。
結果がわからないという不確定の要素がそこには絶対必要である。未来は、予想はできても、知ることはできない。
ここで、「最低な選択肢と更に輪をかけて最低な選択肢」では傾斜が十分についている、そう考えるひともいるだろう。
そう、それはある意味ではそのとおりで、作中奏くん自身が「これは実際には選択ではなく単純に理不尽な目にあっているだけ」と述懐している場面もある。
しかし、だ。どちらがマシか、という選択がそこにはあったではないか。
これは、主人公に共感していては気づかないことでもある。私が何を言っているのかというと、無意識のうちにどれだけの選択肢を我々は経てきたのだろう、ということだ。

選択した記憶がないのに選択は行われている、そんなことってあるのか。それは、自分は一本道に従って歩かされてきたという記憶だ。(それは錯覚にすぎない。道を外れてはいけないというルールは、論理的帰結として自ら導きだすものであり、押し付けられるルールがあるとすればそれは主体的には全てまやかしと同位である)
「こうこうこういうときにはこちらを選ぶべきだ」
これを、自覚的にそのルールの採用を自分で“選んでいる”場合であれば、そちらは行かなかった道として、選択の記憶として残るだろう。しかし、ルールを外部から知らずに押し付けられている場合は。
選択している自分は間違いなくリアルに実存する自分だが、外部に既定された自分は選択肢を通過するときにその自由を認知できない。逆から言う、選択の権利は自由な人間だけが持つものである。
「どうでもよくない」が少ない人間ほど、より多くの選択を選択として認知できる。


個性の結果は、浮かび上がるもの、と書いた。選択肢は与えられるものであるが、自分の置かれた中で戦略的に「次」をつかみに行く、なぜその選択肢を選んだか説明できる限りそれは“自分にとっては”アクティブな行動である。

結果は選択によって、将来から過去に変わり、経験となる。

重ねて、選択の認知の数は主観で変わる。しかし、行けなかった道があったのではなく、行かなかった道だけがそこには“あった”のだと知ることにより、過去の印象すらひとは変えることが出来る。

選択をした経験は自らの中で記憶となる、経験は、各人特有の、しかも減ることのない資産であり、各人の個性を形作るネタ元であるのだろう。

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あんまりなのだ、人生って奴はwww


(余談、ひょっとすると、選択肢の理不尽さが増すことは、環境に対する個人の人生の実存感をより増す結果をもたらすということになるかもしれない)

全10話のストーリーの中で、奏くんは呪いを解くために謎のミッションをクリアーだのなんだかんだと奔走する。そうして最終話、彼が選んだ道は、、
どっちでもよかったのだ。どっちを選んでも、それは彼の個性になるのにすぎないのだ。主人公だから当然かもしれないが、奏くんは爽やかイケメンの個性を全うしていた。
始めから、個性は個性であって、彼がそのときにどちらを選ぶのかは予定されていたのかも、しれないけれど。それは神のみぞ知ることで。そう、奏くんは人間の設定だったのだ。

「どーしてこんな目に」と涙目で叫ぶ奏くんに、「お前が自分で選んだんじゃねぇーか」とこれも人間の先生(ロリ系)は笑った。


<長くなったのでまとめてみる>
・選択は現在の自分が自分の生存戦略に従って行うものである。
・同じ道を歩んだとしても選択したことを認知できる回数は人それぞれである。
⇒人生は選択の連続であるってのはマジだ。

<そうか、さて、真面目に感想文を書いてみよう>
えーっと脳コメはですね
最後まで突き抜けて単にバカを貫いた非常に潔いバカエロアニメです。鬱がとまんないときの気晴らしに丁度よかった。お世話になりました。
(参考情報、第9回は神回と絶賛されていましたがそれは女の子が全員水着ってだけで正直がっかりでした)
また、オープニングのアイドルグループの歌と映像のマッチングが非常に爽やかで好きでした。登場人物が次々と逆立ちをしていくんですが、毎回パンツが見える見えないでコメントが大荒れになる、そんなバカすぎる光景も楽しかったです。みんな、バカでいいよ、いいよ、いいんだなって、癒されますねー。
こーこまでひたすら内容もストーリーもないと誰にも勧められないわ、本当にね、これは、暇つぶし用いいよぉーって、そんな感じです。

最終回、ラストの選択肢に敬意を表して

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①いっぱいありがとう! ②おっぱいありがとう!

えーっと、、やめておきましょうねw