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ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

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「セックスできるお父さん」フィクションの挫折ネタ

どうにもこうにもかみあわないぞとひとしきり悩んで、
そうかわかった私のことを「セックスできるお母さん」だと思っているのだこのひとわ!それならすべてのイミフ発言やすげえなとしかコメントできない行動に説明がつく!そんな衝撃を受けて、よっしゃあわかったそれならいっちょがんばるぞ女は度胸だとよくわからない決意でもっていっそう黙って尽くしては――尽くすったってそのへんのバカ女の思考停止と一緒にしちゃいかんけんね、というイミフな過信込みで――みたものの、どうにもこうにもうまくいかない。意に反した結果のカウント数がふえていくばかり。こんなはずでわないのにないのに!とどんどんどつぼにはまっていたあのころ、挫折をどうしても認められなかったあのころ、どんな誤解があったのか、はじめの動機はなんだったのか。なにせほとんどその最初から、そのひとがアレなことを示す兆候はいたるところに転がっていたのだ。にも関わらず一体全体どうしてわたしはくだらないマザコンにむちゅうになって尽くしていたのか。恋愛は投影にすぎない、自分の目に映った恋愛相手は自分の鏡である。なんのことはない、そのひとがわたしを「セックスできるお母さん」と思っていたということは、わたしがそのひとを「セックスできるお父さん」なのかと思っちゃっていた裏返しなのだ。認めてもらえたあかつきの世界にはなにかステキな(言語化できない)見返りがあるのでわないかという超独自の謎仮説をたて、それに基づいて奔走してきただけなのであった。
セックスできるお父さんとセックスできるお母さんが付き合ってるんだからちゃんとしたカップルではないか、ちゃんとうまくいくはずだ、これが私の無意識にうちたてたご立派な仮説であった。バカか。
ちがった、ぜんぜんちがったのだ、セックスできるお父さんもセックスできるお母さんもそんな存在はこの世にあり得ない、なぜなら話の発端が幼児の妄想だからだ。当たり前だ。
結婚した人間がセックスしていい相手はその配偶者だけであって、子供とやったらどっちからの面だって犯罪だ。幼児にとってはお父さんもお母さんも自分のセックスの相手ではない。むろん現実を見ても親世代のみなさまはあまりにもおっさんとおばさんで、自分の世代との間にセックスを持ってくるには別途想像力をオプションで持ってこなければならない。例えばパパって呼んだりお金を介在させたり変態になってみたり。
ライオンの父親はこどものライオンが大人らしくなってくると敵認定して即追い出しにかかるというが、人間のこどもは自分でバイクを盗んだり汚い言葉や嘘の支配からじゆうになりたいと家を飛び出す、せっかく飛び出したのにまだお母さんやお父さんの幻影を見ていてはぜんぜんじゆうじゃないじゃないか。しっかりしてよ。


しかし当時の自分はまた別の世界を生きていた。彼女はそのひとに父親の幻影を重ねてはいないかという私の忠告を、それがどんなに事実であっても無視したに違いない。バカではあってもどうやらそのバカ女はそのひとに惚れていたらしいこともとんでもない事実だからだ。バカ野郎は、アレなアレを全部差っ引いてもとんでもなくいっしょうけんめいでこどくで不安を抱えていた、だからどうか安心してほしかった、喜んだところがもっと見たいと思ってしまった、そんな彼女の負けだった。
にゃあ。