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ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

日記(微妙なズレの多い日)

朝起きると土曜日だった。


習い事にいくと、先生がびっくりしてあら今日はオケイコの日でしたねと笑ったので一緒になって笑ってしまった。無駄足は普通にドライブになって家に戻ってくる。
家に戻ると珍しく妹が家中を掃除していた。ひとが家にこれからやってくるので掃除をしているというから私は今週は掃除ばかりに縁があると言った。細かいところを磨いて、大きいところを掃き出して、出ているものを隠してしまえば、目につくあらかたはキレイになる。やればできることをいつもやらない。家にひとを呼ぶので花があったらちょうどいいと思っていたのでそれだけ少し残念だった。よぶひとがこないことがわかったのはそれからだった。


ずっと前になくしたガソリンスタンドの割引券をなくしましたと言ったらスタッフのひとはこころよくもう一枚くれた。何かの会員になって何かの登録をしないともらえないとくべつなチケットなのかと思っていたけれどどうにもそれは建前なのだろう。イラクの問題について妹が喋っていた。原油高はわたしたちはとても困らせる。服とか車とかバッグとかマンションとかそういうものが高くなればよくて、牛乳やガソリンが高くなるのは本当に困ってしまうというところで意見が一致した。チーズがぜいたくひんかどうかについて私たちは考えをめぐらせなかった。

 

そこにずっと昔の読売新聞の切り抜きが出張ってきて、イラクの場所を知っている学生は全体から見て40%しかいないことを嘆いた。北朝鮮の位置すら鮮明にわかっていない学生も多いという。それは、昔に比べて地理の知識が劣ったということではなく、興味関心を持たない人間が増えているのだという考察だった。いまだって全く持ってそのとおりだと思う。喜ばしいことではないことに、私はそんなわかもののひとりに入るのかもしれない。主観的には言い訳を始めたくても、全体論で詰められたら逃げられない。ニュースを見るたびに悲しくなってますます選挙会場から足が遠のく、そればかりでは芸がないと思って色々なひとの意見を探す、浮動票のあるべき姿はこれでいいのかなと思う。思うだけ。左翼のいうことも右翼のいうことも私にはさっぱりわからない。


10数年前の読売新聞は世界地図をトイレにはろうを締めの言葉にしていた。それには私もおおよそ賛成するけれども、私のトイレに貼ってある地図から読み取れるのは緑地帯の分布と、夜景データから見る人口や経済状況だけで、国境はひとつも引いていないからそういうことを知るにはもう一枚レイヤーが必要だ。


憲法改正論議の高まる風潮に苦言を呈す記事も出てきた、ぼろぼろの新聞の切れ端は、9条改正やら日米安保やらについて語り、いかに現状が全体主義への道程にあるか憂いた。奇しくも集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたばかりの、ニュースで話題になっていることで、これこそいま読まれるべき記事ではないか、同じ話は何年ごとにぐるぐる回る、新聞もテレビも新しくない。やっぱりそうだ、そんなにだいじなことがしょっちゅう新しくなってはたまらない。こんな鈍感さこそが危険を呼ぶのだってそう言われるのだろう、そうかもしれない、だけれども、そうでないかもしれない、そうでないほうを信じているひとと鈍感はどうやって区別されうるのだろう。左翼のいうことも右翼のいうことも私にはさっぱりわからない。
警鐘は常に「いやなかんじ」として来る。ねえ、今、どんな感じがする?


別に、、いまにも雨がふりだしそうな陰気な空の下で首都高はまったくひとつも混雑していなくて、ドアツードアも新記録を出したかもしれないほどだった。くだらない休日、くだらない、何もかも裏切られた結果一番よかったとおりに動く。予想から少しだけずれていく、微妙にちぐはぐなことが続くので、私はフワフワして事故にあうことになりませんようにといつもよりだいぶん気を使った。