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ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

認知症って言葉に反発を覚えたり。

一般の認知症という言葉自体私は怪しいと思っていまして…

祖父は普段手が震えて電話の受話器が持てないとかでいつも不平不満たらたらなのに、緊急の用件のときだけはちゃんとばっちり話が通じた。
精神論かもだけど、本気でやりたいと思ったらなんでも出来るものなのかなーって。
別にやりたくないことだから、やる気になれなくて、見た目できなくなってるだけなのかも、って。

生活がだらしなくなるとか、物忘れとかって、年取って体の自由が利かなくなってきたから「まーいーや」「しょーがないや」「いちいち覚えてなくてもねー」ってなってるだけじゃないの?
外野が勝手に「やるべきこと」が出来ないから認知症ってレッテルを貼っていない?

若いときみたいに自由に動けないから鬱っぽくなるとか、
何でも出来た時のことが忘れられなくて被害妄想が頻繁になるとか、
そんなの人として当たり前じゃない?
徘徊とかも、なんとなく行きたいから行ってみたってだけなんじゃない?
耳が遠いから何度も聞く、とかは身体の耐用年数すぎてるんだから普通でしょ。
「認知症患者は自分が認知症とは認めない」って、何かそれ違うくない?

高齢者が物忘れや半分人格障害みたいになる状態が多いことは全く否定しないむしろ当然だと思うけど、、、
認知症って言葉で自分と関係ない世界の話にしているパターン多くない???


例えば祖父と私で違うところ、基本的には全然ないと思ってた。
私の祖父は、認知症の進行が進んでると言われていたけど、私と喋るときはしゃきっとして全く問題感じなかったから。
はじめはぼーっとしていても、会ってしばらくすると、活気が戻る。
孫と会って単純に嬉しかったんだと思う。
だから、あー最近つまんないんだろうな、じゃーもっと来てあげようかな、とか思っていた。

 

これ、科学的所見がどうって話ではなくて。
「あら認知症なんですかうちの祖父ったら。あー確かにそんな感じかもです。で?」って話。

うちの場合、認知症だから施設に預けるべきとか、
そういうニュアンスのことを言ってくるひとがすごく多かった。
市役所のひとにまでそう言われたり。
まあ迷惑かけてるのは事実かもしれないけどさ、預けるって、ペットか何かみたいによく言うよなぁって思っていた。
近所に迷惑かけてるから、とか、
家族に心配かけたくない、とか、
そう思って自分の意思で行くひとはいいけど。
そういう自覚もないのにどこか「しかるべき場所」に入れられるっていうのは、冤罪でぶち込まれるのと感覚としてどう違うのかな。
しかも終身刑でさ。
更に更に、外野から無理矢理言われるのはともかく、家族から言われたらきついよね。
姥捨て山だって、「オレを山に連れてけ」って台詞だから泣けるんだと思うんだけど。


会いたい人に会えなくて人生つまらないときに鬱っぽくなることや、
どっかふらふら出て行って帰ってこないことや、
何回聞いても興味がなくて覚えられないこととか、
色々うまくいかなくて苛々しているときに八つ当たりしてしまうことが認知症なんだったら、
私の認知症半端ないなー。
別にいいけど。

「・・・って思ったりもしたんですが、これ極論ですかね?」ってきれいなあのこに聞いてみました。

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<ふんふん、うーん・・・どーでもよろし>

だそうです。残念!