読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
ツイッター   ゆるふわ日記。思考回路オープンソース企画。

小学生の頃(天敵の先生がいた)

小学校の6年生のときの担任は今思っても天敵だった。

ふくよかで、いつも優しい笑顔を湛えた、まるでみんなのお母さんのような存在だった。 生徒からも保護者からも評判のよい先生が、私は大嫌いだった。

   ■■■

 

当時から全然可愛くない子供だった私は、クラスカーストの下から五本の指の中で上位をキープしていた。
一番下のカーストでいじめの標的になっていたのは学校を休みがちでよく言えば気の強い、まあ悪目立ちしてしまう女の子で、その母親がクラスに泣き落としや怒鳴り込みに来る度に教室は大喜びで炎上していた。私を含めた大多数は冷めた目でそれを見ていた(ように見えていたのだが、それにしてもだ)のにどうして空気の中ではみんな対ひとりの図が構成されるのか不思議でたまらなかった。なんとか菌がつくつかない、一斉に無視するなど、オリジナリティも他愛もない、ないないづくしの一般論でその組織的いじめは行われていた。思い出してみても首謀者すら見当がつかないような緩い代物だったように記憶している。

 

先生は友達のいない子同士こそ本当の友達になれるはずというちょっとどうかと思う幻想を信じ切っていた。結果、プリントを彼女の家に届ける仕事は私に頻繁に与えられたし、二人組を作るときには私とその子が組まなければならない流れのようなものすら出来ていた。
私がいじめの標的にならないのはその子がいるからということは火を見るよりも明らかだった。私は有難く後ろめたく、ペアを組んだその後は毎回ひどく丁寧に手を洗った。

 

ひとり安全でそれでもじめじめとした位置で、私はみんなとゆるやかな共生関係を構築していた。当時好きだったのは一番前の席。それはみんなが避けるものであったので、大抵の場合私は自分の希望を嫌味なく自然に叶えることが出来た。
一番前の席で時々授業中に好きな本をこそこそと読むことだけが当時自分を最大限に表現する手段だったのだと思う。
私はみんながドッヂボールで遊んでいる間教室を独り占めして本を読む時間が好きだった。できればずっとドッヂボールをしていてほしいと思っていたし、みんなもずっとドッヂボールをしていたいように見えた。

 

先生はクラスになじめていない私をあたたかく、心配そうに見守っていた。先生の憐れむような優しい視線は、いつも私を苛つかせた。 それは先生の意図とはおそらく真逆に効果を発揮して、自分の立ち位置というものがいかにみじめなものであるかを再認識させる、そんな被害妄想を引き起こすのだった。

私は、先生が大嫌いだった。

 

みんなのいじめが度を過ぎてきたとの判断がどこかで下ったある日、先生は道徳の時間を使ってあるイベントを企画した。生徒たちは机を教室の後ろに寄せて、全員で床に輪になって座った。「誰かにされて嫌だったこと」をテーマに話し合いをしようというのだった。体育座りになった私はいつも通り静かにしていた。少し前に転校してきた子は、前の学校で上履きをゴミ箱に捨てられたり教科書に落書きをされた体験を涙ながらに語った。いつも騒がしい男子も黙ってしまったし、ほとんどの女子は涙ぐんでいた。すすり泣きも聞こえた。その転校生は、無事に、ヒエラルキーの高い、イコールいじめる側に程近いグループに入ったと私は認識していたので意外な過去に少し驚いた。転校生は活発でかわいい子だったためいじめられる姿は想像がつかなかった。私はいじめは不特定を対象にすることをその時に知ったような気がする。そして、泣いているその子に対し、少しの共感と、同じくらいの軽蔑を覚えた。

 

その転校生を皮切りにして、ポツポツと各自の嫌だった体験が語られ始めた。「~~なときに~~をされて私は~~でした」というテンプレをなぞっていくと大体の子は話しながら泣いてしまうのだった。みんながみんな同じようにもうどうしようもない話を繰り返す。私は床のタイルの木目模様を見ていた。自分もこの場で何か言いたいのだろうか。私は手を挙げようかずっと迷っているのだと思った。挙げたとしても何も言えないこともわかりきっていた。クラスで私が事実関係上一番仲よくしていたAさんが、勇気を振り絞ったのだろう、手を挙げた。Aさんのテンプレが最後になった。

 

その日は一日中、クラスの空気はいつもよりもたついているように思えた。放課後、私はAさんと一緒に先生の机に行った。涙を流したことがカタルシスとなったためか、彼女はいつもよりずっと明るい顔をしていた。先生のクラスに入れてよかった、彼女はそう言った。黙って頷いたと同時に、私のシリンダーに鉄の弾がセットされたのはきっとこのときだ。


先生は優しく私に私の引き金を引かせた。
「時間が足りなくてごめんなさい。○○さんも、何か話したいことがあったでしょう?」
もう自分を抑えることが出来なかった。私のためにあの茶番を作って下さったとでもいうのか、私が気に食わないのはあんたのくそみたいな善人っぷりなんだよ、ひとを、バカにするな、何もわかってないくせに、私の「話したいこと」とはおそらくそんな罵詈雑言だったのだろう、それは実態を持つことなく、無言のまま涙になってだらだら流れた。
「たくさん、あったんだよね、ごめんね、、」
違う、全然違う、私は言葉をまだ知らなかった。

 

私の様子が余程おかしかったのだろう、夜、基本的には常にほっといてくれる母親が珍しく声をかけてきた。学校で何かあったのではないか、と。何かあるなら先生に話しにいってもいいのだ、と。そんなことは殆どないことだったので、私は驚いたが、正直に説明した。
その先生こそが根本的に問題なのだ、と私は言った。バカみたいに子ども扱いされることに我慢ならない、しかし先生に悪気がないことはよくよく知っている、だがだからといって先生を好きになれない、これは自分の問題なのだ。卒業まで我慢すれば済む話だから大丈夫だ、と私は言った。母親は心配そうにしていた。母は、私が早く中学生になりたいと涙ながらに語ったと、私に証言してくれた。

 

何日かすると予想通り、クラスはまた平常運転に戻った。私はひとりで本を読んでいたし、ひとりで先生に静かな反抗をしていた。

 

クラスの話題は卒業文集の作文をどう書くかが主になっていた。私は件の道徳イベントを根に持っていたのだろう、陰険な手段に出た。作文に、小学校の思い出を並べたて、最後をこう締めくくったのだ。
「6年生の一年間は楽しいことが何もありませんでした。早く中学生になりたい。」

 

私は職員室に呼び出された。
卒業文集の作文を書きなおすように、とのお達しだった。
これを文集に載せたらきっと将来後悔する、よく考えてくれ、何か楽しいこともあったはずだと先生はいった。私はぼそぼそと反抗を試みた。
「・・・思いつきません」
先生は泣いていた。
ズルい、と思った。

 

何日もかけて、私は最後の文章を何度も書きなおした。何を書いたらいいのかわからなかった。
別に小学校が嫌いな訳ではなかった。誰もこない図書館も、にわとりの世話も、他のクラスの幼馴染と黒板に落書きをするのも好きだった。放課後は学校で意味不明に一番遅くまで残っていたのでよく叱られていたくらいだった。でも、どうしても私はそれらの記憶を作文に残すことすらまるで屈服であるかのように思い、同時に先生の涙をどう処理したらいいのかわからないでいた。

 

「6年生の一年間は本をたくさん読むことができてよかったです」
再提出した作文を読む先生を殆ど睨むようにして立っていたときの緊張感を覚えている。いつもの満足げな優しい微笑みで原稿を受け取る先生の姿を想像していたのに、場面は先生が作文に目を落としたままで止まってしまって、まるで違った方向に進んでいくようだった。
先生は、消えそうな声で、ありがとうと、そう言った。

 

根本的に問題だったのが優しい先生の存在ではなかったことに気づいたのは、今更だ。
私には、その時にそのことを話していい友達が、いないと思ってしまったのだった。そのこと が限りなく事実に近かったのかもしれないにせよ。

 

ほとんど恨みのように思ってきた感情が、見当違いにすぎなかったこと。
それは単純な、仲のいい友達とはなんでも共感しあえるものだという根拠のない幻想が当たり前に破綻したという、それ以上でも以下でもないがっかり話にすぎなかったということ。

 

私は12歳で、ただの思春期の不機嫌な女の子だった。

 

   ■■■

 

なんだ、これは・・・。

小学校の卒業文集を見てレモンちゃんは青ざめていた。
「6年生の一年間は本をたくさん読むことができてよかったです。私はずっと早く中学生になりたいと思っていたけれど、今になるとならなくてもいいかもしれないと思っています」
作文はそんな後ろ向きな言葉で終わっていた。そんなどうしようもないことを書いているこどもはもちろん他に誰もいなかった。なんとか菌の子も、Aさんも、いい先生にめぐまれてわたしたちは飛びたっていきますというような、お手本のような文章を書いていたのに。
そんなこと、そんなことを本当に思っていたのか。嘘だろう、冗談にしても、笑えないでしょう。空いたスペースには猫の落書きがのほほんとしていてますます意味不明さを増している。

 

慌てたレモンちゃんは彼女の中学校の卒業アルバムを開いてみた。15歳のネクラな女子は何を言ったか。
少し調子に乗りすぎに思える文体がそれでも「三年間を楽しかったという一言で締めよう」とほざいていた。

 

そうだ、中学校に入ってすぐ、クラスに案の定仲がいいと呼べる知己をもたなかった私は、同様に独りでいる子を見つけ出しロックオンして声をかけたのだ。
「ねえ、友達になってくれない?」
そのやり方はきっとほとんど間違っていて、でもその時はそうしてみようと思ったのだ。

 

まあね、
まあ、よしとしよう。