猫 1
管理人には薄々気が付いていた現実がありました。
この世の中にはどうでもよくないことなんかなんにもない、猫がすべてなのだ、と。
出会ってしまった彼女たちに、また会いに行きましょう。
気さくな彼らに、ざっくばらんなご意見伺ってみましょう。
『世界はネコカフェだから』
そんな企画です。
よろしくどうぞ。
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アラブの春が起こる少し前のことでしたが、
エジプトのタフリール広場から徒歩20分、アズバキーヤ公園を訪れたことがあります。
集団催眠にでもかかったかのようにみんなでうっとり寝ているかたたちに出会いました。
公園のすぐそばにはこんな廃墟があります。元ホテルだった面影だけはあるのですが、中はお化け屋敷同然、それだけではなくなぜかちゃんとした医療施設が入居していて、旅行者向けに黄熱病の予防接種をヤッているのです。
ただ、営業時間がいまいち不明なため一時間近く放置プレイとなる残念な旅行者も。
そんな旅行者のやり場のない感を中和するため政府から派遣されているとかそういうことは全然なく、彼らは自主的に眠けを圧して遊んでくれるのでした。
あのときはどうも。
今も、配置は変えつつこちらでお休みされているそうです。
(エジプト、カイロ)
【グルジア】首都の散策、温泉
いまいちなじめないまま私はカズベキを後にした。それはほとんどすべて天気のせいだった。
イスラム圏を出てようやくありつけた豚料理、街を闊歩する家禽。陽気なロシア人観光客の群集に気さくな宿の女主人。自力でのぼる筈だった山頂の教会と、遂に死んでしまった折り畳み傘。
なにも不自由はなかったのに、空模様と完全に繋がってしまった私の孤独感はわけもなく負債を積み上げてしまったかのように思えた。
すごい絶景のはずだったんだけどね。
首都トビリシへの帰り道、乗り合いバスはどこにもよらずに一直線に山を下って行った。昨日出会った絶景が暗雲の下で時速100㎞で後ろに消えて行った。私はぎゅうぎゅうづめの車内でひたすら自分の荷物が倒れないように押さえながら、ガラスの外側を走る雨の粒をぼんやり眺めていた。
終点のバスターミナルに着くころにはなんとか雨は上がっていた。私は2日前に隣の国で手に入れたカードを引っ張り出して、のろのろとその安宿を目指した。道を間違えるとこの国のひとたちはすぐに助け船を名乗り出てくれる。ロシア語が通じないと言う悲しい事実バレしたあとでも英語使いの人間をどこからか調達してまで助けようとしてくれる心遣いに何度も感謝した。
バスターミナル近くの美容室。
宿を無事にとることが出来れば少し気が楽になって、鞄をおいて外へ遊びに行く。
ここは旧市街とそこに点在する教会がすばらしい街である。
教会のほとんどは開放されていて、自由に見て回ることができる。入場料などもなく、単純に地元のひとたちがお祈りのために大事にしていることが容易にみてとれる。
グルジア正教会、アルメニア教会・・・キリスト教といっても特にここは混とんの街だ。キリスト教会のほか、写真のとおりユダヤ教会もある。あちこちにダビデの星が飾られている。
また、この街には1500年前から要塞がある。ナリカラ要塞である。石畳とバルコニー建築のすばらしい旧市街はこの要塞に守られてきた。いまは最近出来たロープウェイで上がることができるのだが、そこから眺める夜景が特にすばらしいそうだ。ここがきっかけて誕生したという旅行者のカップルについての話を聞いた。
(ナリカラ要塞を見上げる)
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別格で楽しみにしていたものがあった。温泉。日本人たる者いかない訳にはいかない、と雨が降る中傘もささずに張り切って出かけた。雨の道路にも硫黄のにおいが漂い、いやおうもなくテンションがあがった。しかし・・・なぜか聞いていたよりも料金が安い。ラッキー、ではない、その嫌な予感はすぐに的中した。話が違う。聞いていた話は男性の経験談であり、女湯には湯船がなくその分が値段に反映されているのだ。
浴場に入ると、ドーム状の天井の下に正方形にパイプが走り、等間隔に蛇口が並んでいる。かけ流しスタイル。
湯船はがっかりではあったが、そこはただのシャワーではなくれっきとした温泉、やわらかなお湯に打たれるのはいつでも気持ちがいい。地元のおばちゃんが番頭のおばちゃんと世間話に花を咲かせている風景はどこにいってもかわらない。
(温泉の待合所。どこにでもサモワールがあるのが中央アジアからコーカサスの文化)
最終日だった。お土産にワインを買った。ここはワインが生まれた国、重いと言う理由だけで何も買わずに帰るやつはバカだ、
そんな空気が来たときには戦ったり戦わなかったりするが、最終日はどうしたって逃げがちになってしまうものだ。
空港につくと、いつも、終わってしまったと思う。まったくもって、現実逃避の終わりはあらかじめ決めておくものだ。
いつだって旅はそれなりに楽しいし、いつだって旅はそれなりに切ない。何かしら、まだいたかったのにがあるかどうかで、旅行の成否が占えると言っていいかもしれない。
(イラン・コーカサス旅行のときの日記公開企画は終わりです。ありがとうございました)
【グルジアへ】寝台列車のススメ/お目当てロシア軍道へ
寝台列車が大好きだ。
心地よい振動で揺られながらふと目を覚ます。知らない国の知らない線路を粛々と進んでいく大きな鉄の塊、その中に自分がいることを発見する、世界地図を頭に描く、車両が1mmだけ進んでいく、そうして窓の外を、観光地と観光地のあいだに広がるなんでもない街の屋根を延々と見る、暗くて見えないが街の向こうはきっと砂漠だ、ひとは川に沿って街をつくり、それに沿って線路が曳かれている、もちろん何もない荒れ地を進んでいくのもいい、必ず線路はずっとあるのだ――極めつけは、それがいつものなんでもない夜だということ、静かに電車が通り過ぎるだけの当然の――
私は口を半開きにしたままバカみたいになんにも考えられなくなる。
寝台列車の旅はすてきだ。
自分で何もしなくても遠くまでいける、しかもちゃんと横になって眠れる、なにより安い!
この三つ目がキモ。
日本では絶対に経験出来ないこと――それは国境越え、そしてエコノミー選択としての寝台列車の夜なのだ。
恥ずかしいほどくだらない理由だが、これがたまらなくてどんなに使い勝手が悪くても無駄な日程が出てもついついスケジュールに電車の夜を組んでしまう。行きたいより乗りたいを優先させたような本末転倒なスケジュールのときも多い。バカだと思うけどそのうち卒業するのだろう。しなかったら・・・は考えないことにしよう。
コツはなるべく上の段を予約すること。
窓を見るのには下の段のほうがもちろんいいのだが、どうせ寝ている間は何も見えないし、そもそも座席の窓なんかきったなくってなんにも見えなかったりするのだから、あえて上を予約する。窓はコンパートメントから廊下に出たところで楽しめば十分。(もちろんお金に余裕があれば1段ベッドの席が理想だけれどもそこまで贅沢は言わない)
寝台列車の難点は同室の客が選べないことだが、自分の席が上のベッドならばいつでもさっさとプライバシー空間を構築できるからだ。
概して地元のひとは下の段を好むケースが多い(はしごをのぼるのが面倒らしい)ので、席が自由席だった場合でも、希望すれば譲ってくれることが多い。
アゼルバイジャン鉄道のシーツはやたらかわいいかった。(ちゃんとキレイなやつを配ってくれる)
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さて、(悲しいことに)ゆかいな仲間とはやっぱり終点までの関係性となった。
そんなわけで(どんなわけでも容赦なく)列車はずんずんと進んで時計の針を一緒にまわし、私はすんなりこのたび2回目の国境を今度は何も思い煩うことなく軽々と北にまたいで、グルジアに入った。
グルジアの首都トビリシのバスターミナルは地下鉄ディドゥベという駅を降りて地下街のバスターミナルをくぐりぬけ、階段を上ったところにあった。
バックパックを背負っているせいですばやさが極限まで下がっているというのにそんな目がちらちら移ってしまう道を歩いていく、まあそんな大変非合理的な動きをしながらようやくたどりついた結果はといえば、乗ろうとしたバスはないという発見だった。
前もってネットで調べておいた情報が大嘘だったのだ。
親切なひとがネットに載せた段階ではもちろんほんとうだったのだろうがどんな世界でもそこは現況優先、仕方がない。
仕方がないので次点候補に目的地を替える。
グルジアでおそらく一番メジャーな観光地であるカズベキである。
コーカサスの山麓でトレッキングしたり山の頂上の教会にいったりするのだ。全然悪くはない。
カズベキカズベキカズベキと息の続く限りに連呼するおっさんの塊をみつけて仕方なくその中の一台のハイエースに乗り込む。
なぜグルジアまでわざわざ来たのかと言うと、コーカサスの山に向かう道が絶景で有名ということになっていたからだった。
この道はロシア軍道といって、1920年代にソ連軍が南下するために作り上げた軍用道路だったが、現在ではもっぱらこうして観光用の平和な道になっている。
途中にある世界遺産の教会に寄ったり、謎の壁画(ソ連がつくったらしい)が絶景パノラマポイントを彩っていたり、色々と道中のお楽しみがある。
犬が多くて怖いのが難点。
⇒Tips レモンちゃんのネカフェから
グルジアの文字。ちょっと覚えてみようかな~な安易な気持ちを抱かせない、一介の外国人には高嶺の花感が強めです。
【アゼル】バクー2日目のこと、それからすごいケンタッキー
バスの中でさんざん悩んで出した答えは、この小さな国の首都バクーには二泊滞在しようということだった。はっきりいってこの国に対する事前知識などは皆無、かわりにあるのは寝台列車に乗りたいという中味のない乗り鉄趣味だけ、そうして何も見ないでお目当てのグルジアまで通過する予定だったのだが、昨日の麻薬騒ぎのせいで無駄に疲れ切った私の頭に浮かぶ言葉は「もう動きたくない」、何回確かめてもそればかりだった。
次の日はそれでもなんとか9時頃ようやくのろのろと起きだすことが出来た。いつから使われているのか、そんな古民家づくりの中庭バルコニー。といえば聞こえはいいが、談話スペースなんて洒落たものではなく半分廊下にすぎないところ、そこで中国人が怪しげな朝食を食べていた、少し話をする。
郊外にゴブスタンという世界遺産の遺跡があって、なかなかよかったという。石器時代の壁画が見られるらしい。
なにそれ行ってみたい、というと、さっきロシア人が同行者を探していたよといい情報を教えてくれた。
牛追いの壁画。
ロシア人とセルビア人のカップルと四人でタクシーをシェアした。欧米の旅行者はもちろん色々だが基本的には一緒に行動すると明るい気持ちになることが多い。誰も彼もフェイスブック一辺倒正直ついていけないけれど、せっかく来たのだからと旅を楽しむ姿勢にいつも尊敬の念を抱く。何度も何度も自撮りに付き合わられる、たまにはこうやってリア充ぶるのも全然ステキ、と素直にいいたいところだけれど私は英語が喋れないのでデフォルトが引きつり笑い、とてもじゃないけどそこまで嘘はつけなかった。悲しい。一緒にジャンプとか羞恥プレイみたいな写真でさえも私は全部引きつり笑いをしている。そういうとき私は自分の日本人性を感じる。
しかし白人男はすぐ脱ぐよね。暑いのはわかるけど。腹が出ていても気にしない。日本人でよかった。
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夕方は鉄道の駅まで切符を買いに行った。
左の三角は地下鉄駅。かっこいい。オイルマネーによるものだろう、都市部はこれでもかとキレイに現代的に整備されている。物価も高い(かなりつらい)。なのに少し郊外に出れば農村風景が広がり、相当な格差があるであろうと容易に想像がつく。国境から首都に向かう道中は人かげはないのに牛ばかりいる光景を見ていて不安になったのだ。のんびりした牛の群れと、砂漠の中に突如現れる石油タンクの列や天然ガスのパイプ。どこまでも近代的な都市の中にたたずむシルクロード時代の城塞。そんな真逆のカードが紙しばいのように現れる。面白い・・・
鉄道駅は、入口が分かりづらかったけどカッサ(切符売り場)の表示を見つけて安心した。この国にはあまり英語を使う人間がいないけれど、さすがに駅には英語専門デスクがあって、親切なお姉さんが対応してくれた。
日本人はたくさん来るわ、と自慢げに言われたが、この時点では私は一人も見てないかった。ほんとかよ。
次の日の夜行列車はもちろん二等。
<おまけ:現地の様子>
地下鉄一景。
駅まで案内してくれたひと。目線もくれました。
Tips⇒レモンちゃんのネカフェから「バクーおすすめスポット」
バクーには世界一すごいケンタッキーがあります。鉄道駅のすぐ横です。
1920年代に建てられた古い鉄道駅を改築したとか。2012年開店。
オシャレ!オシャレ!天井が高い!
中はとってもデートスポットで学生さんでにぎわっていました。