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映画『シベールの日曜日』を見たけど全然ロリコンじゃなかったよ

縁があって『シベールの日曜日』という古い映画を見ることになった。


7/26発売Blu-ray『シベールの日曜日』30秒CM - YouTube

以下つれづれと思ったことだけ、ねたばれ含みなので隠します。

あらすじはWiki先生、まいどどうもでございます。

(あらすじ)
元空軍のパイロットで、第一次インドシナ戦争での戦傷による記憶喪失が原因で無為な毎日を送っているピエールは、ある日ひとりの少女に出会う。父親に捨てられ、天涯孤独の身となったその少女はフランソワーズと名乗った。お互いに深い孤独を抱えるピエールとフランソワーズは日曜日ごとにビル・ダヴレイを訪れ、疑似的な親子とも恋人同士とも言える関係で触れ合う。しかし、幸福な週末は長くは続かなかった。クリスマスの日に、ピエールはフランソワーズの望みを叶えようとするが……。
シベールの日曜日 - Wikipedia

ロリコン映画かと思ったら見た目は確かにアレだったけれど全然違った。あれがロリコン映画だという人間がいたらなにか言っちゃうかもしれないけどそんなこと言わないでにっこりしよう。いい映画ですよね、私も好きですよ。全然違う。年齢だけでひとを判断するなんて!

ロリコンは幼女に対する偏愛を意味する。子供に対する尊厳とか対等を感じての愛ではなくてただその子の発露する小児性への変態的な愛だ。ナボコフがロリータで作中定義していたニンフェット(=9歳から14歳までの性的魅力を発現する少女)への偏愛。だからそれは無垢であるとか純愛であるとかは全く真逆の変態性なのだ。ニンフェットが誘惑し、おっさんがおっさんとして誘惑されるという様式にのっとってないとロリコンではない。
原作でも主役のロリータが15歳を過ぎたのでお話はオワリでーすなんてもうどうしよもない話になってまして、あれはあれで話し始めると長くなるからあれなんですけどドライブ感のたまらない爽快なマジ基地な小説なんでマジでオススメですよ~ 映画は未見ですが。

ロリータ (新潮文庫)

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もとい、もとい、この映画で執拗なまでに描かれるのは全く逆の無垢なふたり。
孤児になったばかりで愛情欠乏症の女の子と、戦争のトラウマで記憶喪失になっていた青年、ふたりが出会ってふーたりのためーなせかいを築いていたのに年齢が年齢なものだから(それから二人のいちゃいちゃが過ぎたこともありーので)世間体というものにアレされてしまってネタバレすると青年が変質者=犯罪者として銃殺されて終わり。悲劇話でびっくりだ。えーやめて。古い映画はとうとつに主役を殺して終わったりするので見る方にはショックが大きい。
反戦も込み、ふつうってなんなんだ!という批判票も込みの、ある意味「"普通に"ロマンティック小話」と言ってもいいと思う。

(何が言いたいかって変態性を面白がるとか歓ぶとかそういうひとが見てもどうだろうつまんないと思うんです、うっとりしたい女性向け、)

フランソワーズ(本名シベールって設定なのです)演じるパトリシア・ゴッジは確かにちょうちょうちょうちょうかわいんだけどニンフェット性はかけらもなくて、ただの恋人気取りの淋しがりで、青年はその愛情表現にノリノリでノッてはいるがそれは自分の年齢にふさわしい大人としての振る舞いではなくて、何も知らない無垢な存在として相手役をつとめている、だから実際は少年と少女の物語になっている。恐竜惑星が萌アニメではないからこそ萌え~っていうひとは変態と呼ばれるのです。

青年と同棲しているサブヒロインで大人の女性は出てくる(映画中の唯一のお色気シーンぽいところはこのひとが下着姿で主人公に抱きつくところ)。彼女が看護婦らしくふたりを深い理解で受け止める役で、「あれは子供が遊んでいるだけなのよ」とか主人公擁護論を展開するシーンもある。この看護婦は嫉妬の感情を深い理解で駆逐したちょう人格者の演出で、主役二人の純粋性をそうやって観客にダメ押しで説得してくる。
正直言ってこの狂言回しの女史はあまりにも報われない役回りというかそれはそれで自己犠牲精神が凄すぎてそれもある意味頭がおかしい女という印象。
つまり誰一人マトモな登場人物がいない。フランス映画ってこんなんだっけかと思った。

映像はここまでやるかというくらいに情緒的でロマンチックできっと誰が見てもうっとりする仕掛け。
マジキチばっかりだなんて文章を書いていて我ながら呆れてしまうけれどもすごく美しい映画だったのだ。印象的な水の輪から、ろうそくの揺れる光、ぼかしながら場面を変えて、セリフだけで魅せていく技。
瞳や光や水をこんなにキレイにうつしこめるのかとずっとそっちに感動して見ていた。古い白黒フィルムには光が柔らかく入っていてそれはいまどきのデジタルでは写せないものなのかもしれない。
ワンカットを失敗するとイコール高いフィルムがダメになるから演技するひとの気合のいれようも違うのだとあとで映画に詳しい人が言っていた。古い映画は最近の映画と違うような気がするんです。

青年が「普通のひとたち」に変質者犯罪者よばわりされて遂に殺されるのはクリスマスのお祝い中で、それが悲劇性を増している。
美しいフィクション(幻想)をどこまでも本気で描ききるときっとこういう映画ができるんだろう。でもそれは、美しいが無垢であるなんて世界観は、主人公を犯罪者だと決めつけて殺したきっと現実だとされている残酷な世界と同じくらいに排他的ではないのだろうか。

だからこの映画はただただ悲しいお話。どこにも救いがなくて悲しい。

シベールは淋しかっただけだ、捨てられるのがわかっていたらそれはそうなのだろうしその日に偶然現れたひとが王子様になっても全くおかしくない。青年も以下同文だ。うんめー感じないほうがおかしい流れでうんめーてきにうんぬんするのが映画。どうなんだろう、あんなうんめーてきがしてみたいなんて一体観客である私はちょっとでも思っただろうか?

うんめーもシンクロニシティも、自分で見つけられないならそこにはもとから何もない。主人公よろしくあるはずのないうんめーを見つけちゃったとしたら―――まだ大丈夫、見て見ぬふりをする道もそこには残されているはず。どっちにいくのかは当事者になったときに決めるしかないんだし。

ちょっとイジワル言いたくなっちゃうくらい、とことんキレイな映画でした。

シベールの日曜日 HDニューマスター版 [DVD]

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 ロリータの映画もみてみたーいな。