ドキドキしちゃう

ダメな人の自己愛ドライブレコーダー

世界のネカフェから  ブログのメイン。管理人の見た世界の不条理。
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ヤリ捨てタイ焼き

やり捨ての話を読みました。

aniram-czech.hatenablog.com


(記事のオススメ度としては告知されてる寄稿が断然面白いのです、が)あんこのたとえが私は非常に好きです。
私はそう、タイ焼きのしっぽ、あんこの少ない部分がとても好きなのです。
私はかつてあんこまでしっぽ、もといしっぽまであんこというキャッチで有名なタイヤキとともに暮らした経験があります。なにかにつけて奴らはそれを買ってくるのです。わざわざ遠くまでいって。タイヤキは頭からかぶりつくのが礼儀派の私は、あんこのない尻尾できれいに魅惑のタイヤキにお別れを告げるシーン、誰にでも訪れる普遍的な人生の苦み――をこよなく愛してきました、それなのにそのお店の存在はそれまでの私の人生を揺るがすものでした。由緒ある名店のタイヤキは普遍的においしいから毎度毎度私達は全員で最大限の歓びの声をあげましたがこっそり思っていたことは何よりしっぽが惜しいということ。これでしっぽまで入ってなけりゃもうーどれだけの魅惑だったか!しっぽまであんこ、あなたはそれを親切だとお思いか、はっきり言っておく、ありがた迷惑である、と。しっぽまであんこがはいっていたら口直しはどうしたらいいの、私はどこへいったらいいの?知るか、勝手にしろ!結論、しっぽまであんこは正直いって無粋です、タラのテーマとともに、やり捨てが実在した場合について考えてみましょう。

しっぽだけ食べる、結構それ私好きだな
ちょっとだけあんこがあって・・・


やり捨てはしたい同士がすればいんじゃないでしょうか、やっぱり。ワンナイトなんとかへの憧れ、つまりそれはあとくされのない時限的ロマンティシズムというすこぶる都合のよいファンタジーなのですからしっぽだけ同士はそれはそれできっと乙なのだと思います。ローマの休日なんかもあんこの量はどうみつもっても一口(だって一日だし)で即効じんわり切なくしっぽにあんこはなさそうでFINです。私は経験値低めなので言えてもせいぜいが銀幕のヘップバーンですが、あんこのないタイヤキをひとくちずつ食べるようなものだと思えばそんなに嫌な感じもしませんね。まあローマの休日を「win-winなやり捨て案件」とすること自体怒られそうですね。

 

ただ、恋愛はやはり甘~いなにやらが醍醐味というのは昨今の乙女ゲーム乙女漫画のケータイ広告を見ていればわかります、うざいけど有料は嫌、けれど、あんこの甘さに期待のレートをあてこんでいるひとも多いでしょうし、片方がしっぽは控えめ派で片方があんこ大好き人間だったりするとそこにミスコミュニケーションが生じてしまうのはいたしかたない自然現象だとは思います。

実際ワンナイトなんとか自体にあんまり食指が動かない自分とあますぎるあんこが苦手な、わかりましたちゃんと書きますがアンジェリークにはまれなかった自分、そこにはさぞかし大きな葛藤があるやいなやとわが身を振り返ってみましたが、そこは簡単、特に経験がないのでよくわっかりませーんでした。というのもひどい話なので考えてみます、やったことないから語れないなんて小学生以下だと思います、自分の頭がついているんだから自分で考えればいいんだと思います、ああめんどくさい。
別に矛盾なんてしてなくて、単純にあっさりと睦まじいあれやこれやに惹かれているのだろうという全く面白味のないふつうな回答が即浮かびました。いつのまにかしっぽだけかしっぽまであんこかの選択で考えていた私がおかしかったんです、そう、普通のタイヤキがメリハリ含めて好きなんですよ。なにかを考えるときにエキセントリックなふたつを並べたって何も進まないんです。ええとあんまりつっこんでも普通に恥ずかしいことしか出てこないのでもういいです。やっぱり恋愛観なんて詳細に語るもんじゃないよ。ちぇっちぇっ。(逃)