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カミュ「ペスト」を読みました(読書感想文フル) 

こんばんは~。

 ペストの時間(本編)です。

ようやく感想全体版です(遅いってば)。待っていてくれるひとがいるといううさんくさい脳内設定を捏造して何とかやってます。

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

 

 
登場人物紹介やあらすじは前回書いているので省略します。
適宜参照してください → カミュ「ペスト」を読んだり感情移入してみたり(読書感想文カロリー1/2) - ドキドキしちゃう

 

★姉妹記事はこちら★

カミュ「異邦人」を読みました(粗々読書感想文) - ドキドキしちゃう


一応以下隠しまーす

※また、言及していない部分でももうーすばらしい場面オンパレードなので、未読の方はぜひぜひおすすめします。ひとがバンバン死ぬるのでちょっときついけれど素晴らしい一冊です。

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前回の記事でこんな感じで紹介文を書いてみたので再掲。

現代社会を風刺しつつ、ルポルタージュ風のエピソードを並べることで群集心理が鮮烈に現れる。これでもかと客観的視点をとる形で読者の安易な共感を許さず、病魔に覆われた街を俯瞰で見せつける。この不条理ひしめく世界で人間はまたいかにあるべきか・・・その問いに対してひとつのこたえが提示されるが、それを批判するのではなく否定する形で「反抗的人間」とは何かを描き切った渾身(かどうかは知らないけど)の傑作(なのは間違いありません)。

カミュ「ペスト」読了したけどそんなにすぐ読書感想文なんて書けない現実に気づいた - ドキドキしちゃう

 自分では結構うまくまとめられたと思っているのだけれど、どうかなー。
ちなみに新潮文庫の裏はこんな感じ。

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。

「悪」と闘うではなくて、正確には、「悪とされるもの」との闘い、だよなと重箱の隅をつつくような違和感を持った。そして、この違和感はこの小説においては結構重要なような気がする。

(だからこそ新潮はわざと「」をつけているのだと思っている)

 

小説の冒頭と末尾に、「筆者」の言葉が書かれる。筆者は作者のカミュではなく、その原稿を書いたという設定を持つ者だ。「筆者」が誰かということは作中においても「すぐにばれちゃうと思うけど」と注釈が入らなくてもいい位にバレバレなのだけれど、とにかく彼は筆者として「歴史家のごとく」ふるまう。だから、読者に与えられるのは神の視点だ。この小説は俯瞰しか出来ないようなつくりになっている。勿論並べられた場面場面で随時登場人物に降りて行って彼に重なることもできるが、常に求められるのは第三者としての立ち位置だ。

実のところ、世界に善悪なんてものは存在しない。不条理は、その観測者の発見によって生み出されるが、それを悪と呼ぶのは早計だと思う。ペストや大地震や台風それ自体は、人によっては悲劇となるものだけれども、それ自体は決して「悪」ではない。もっと踏み込んで誤解覚悟で書くなら、ナチスの台頭すらそれ自体を悪とは呼べない。その政権を選んだ乃至選ばざるを得なかった民衆の存在抜きに歴史は語れないからだ。天災の場合も人災の場合も、その結果生じた「喜ばしくない結果」は「悪」ではなく、「当時防げなかった事態」即ち「過ち」に過ぎない。

罪のない人々の死や悲劇や諸々をひとは不条理と表現する。
不条理とは、道理にあわないもの、つまり「ありえないもの」だ。その災い自体が悪いものではない。つまり不条理との戦いという言葉は、「そのこと」を「自然」と見なす勢力との戦いを意味する。WW2の収束にヒロシマナガサキが不可欠だったとする見解を是とせず「あれは過ちでやってはならないことだった」と言わしめることが不条理への戦いであって、何も誰かへの復讐やらこの作でいえばペスト菌の撲滅を指すのではないんだと思う。
そして、不条理は誰かによって発見されない限り「西部戦線異常なし」となり歴史は繰り返す。

その繰り返しの輪をどこかで切るために防ぐために必要なのが事実関係の検証だ。それが歴史家の視点だと思う。
歴史を紐解いた者が「これは不条理である」と認識することで、世の中は少しずつ変わっていくのだ。
だから本書において読者は徹底的な神の視点に立たされる。災害が起きたときに、人々はどうふるまうか?作中描かれるいくつもは警告でも賛美でもあるし、最近見た東日本大震災の後の日本の風景そのままのものも少なくなかった。美しい点も、眉をひそめる点もあわせて。

では当事者としてはどのような対応をするべきなのか?どう生きるべきなのか?
作中、この問いのこたえは二人の人物によって提示される。

一つ目は、どんな形でも犠牲者の側に立ち、「共感」するタル―さん。
タル―さんは、つよい。
タル―さんは、ココロの平安を築くために全てを理解するのだと言った。無駄口を叩かず、誰に対しても平等に振舞い、街のひとをアウトサイダーとして冷静に観察を続けた。
タル―さんが目標としたのは「神によらない聖者」だ。

そのタル―さんの親友そして分身として対比されるのが主人公のリウーさんだ。

前回の半分までの感想文で語った場面だが、リウーさんは「ペストと戦う唯一の方法は誠実さ」だという。自分の職務を果たすこと、だと。
そのためには、共感する心に鍵をかけてしまう必要がある場合もある。いちいち共感していたら、ペスト患者を非情にも家族から隔離する医師の仕事など出来ない。
彼は「人間はあらん限りの力で死と戦った方がいい」のだと、「必要なだけの傲慢さをもって」彼の患者を治していこうと奔走する。
病を治すことがその人にとって必要か否かは関係なく、彼は不治の病であるペストで患者を死なせまいと戦いを続け、そして敗北を続ける。それが医者である彼にとっての誠実さだ。
「僕は自分で敗北者のほうにずっと連帯感を感じるんだ、聖者なんていうものよりも。僕にはどうもヒロイズムや聖者の徳などというものを望む気持ちはないと思う。僕が心をひかれるのは、人間であるということだ」

タル―さんは、リウーさんに、二人は同じものを求めている、しかしリウーさんの野心のほうが大きいと答える。
聖者であることよりも、人間であることのほうが難しいというのだ。
前回の感想文でもふれたが、聖者であろうとすることは少なからず“観念”だからだろう。いいほうに立つことはある意味では簡単だからだ。

勿論タル―さんの試みが単純に簡単に実践可能という訳ではない。全ての人に共感することは不可能だからだ。タル―さんは「ペスト万歳」と叫ぶある一市民の言動だけはどうしても肯定することができない。
罪のない子供をバンバン殺しているペストを喜ぶことはどうしてもできないのだ。
当たり前だ。つまり、聖者という境地は人間が到達できるものではないということもここに示唆されている。
目指すことは出来るとしても。

物語の終盤、ペスト禍がようやく収束を見せる中、タル―さんがペストに倒れる。

(タル―)「僕は死ぬ気はないし、戦ってみせるよ。しかし、もし勝負に負けたら、立派な終わり際をしたいと思うんだ」
リウーは身をかがめて、その肩をしめつけた。
「だめだよ」と、彼はいった。「聖者になるには、生きてなきゃ。戦ってくれ」

 リウーさんはタル―さんにあくまでも戦いを強要する。
そして、タル―さんもそれに応えようと戦い続けるが、軍配はペストに上がる。タル―さんも最期はペスト(死)を受け入れてしまうのだ。「これでいいのだ」というセリフで。
「ペストで人が死ぬことは仕方ない」と言えないリウーさんにだけ、またひとつ黒星が増える。

リウーさんの戦いを際限なく続く敗北と断言する本書において、最期に読者に向けて差し出されるものは希望だ。不条理に対して際限なく負け続ける戦いの中で何が手に入るのか。
人間がかちうることのできるものは、知識と記憶であるという。勝利宣言ではなく、後につづく者への伝言、遺言である。

筆者が記録した膨大な観察から、ひとつだけ具体例を挙げる。
あくまでも客観的に淡々と筆を進めようとする筆者の口調が突然熱を帯びる印象的なシーンがある。筆者もやはり人間なのだと思わせる反面、ここほどカミュを小憎たらしく思う場面はない。
筆者は、リウーさんとタル―さんの指揮する保健隊の仕事をボランティアで手伝うひとりのしがないおじさんであるグランさんについて、こういう人物こそ本当のヒーローと呼ぶのではないかというのだ。
グランさんは市役所で働く派遣のおっさんで、趣味で小説を書き、その言葉を一語一句延々と推敲する。また、本職で得た統計の技術を使って保健隊の活動の裏方として従事する。彼にとっては自分でも何か役立つのではないかと思って保健隊を手伝っているだけで、こんな仕事は誰にでも出来ると思っている。かつ、ボランティアを始めたせいかどうか、本職の最中にも自分の趣味について考えてボーっとしてしまうことが増えて上司から散々に叱られるが、ボランティアの仕事中は集中して統計作業に励むことができる。
リーダーたるリウーさんは彼の仕事ぶりに熱く礼を言うが、グランさん本人はお口ぽっかん状態で「なんもですよ」とのたまう。
「ヒロイズムにはその本来あるべき第二義的な地位――すなわち幸福と言うものの惜しみなき要求のすぐ次に位し、絶対にその前ではない地位」がふさわしいという筆者のヒーロー像に合致するのがグランさんなのだ。
筆者はラジオから聞こえる当事者にはなりえない街の外の人の声に対抗させてこの小市民に敢えて光をあてている。ラジオの声は東日本大震災で日本中が叫んだ「絆」の一文字に被って読めた。街を応援するはず言葉によって皮肉にも本当のヒーローの姿が掻き消されてしまうと筆者は嘆く。
声によって消されることも厭わないヒーローもまた筆者の発見した不条理なのである。「そのまま消えていいものか」と、彼のヒーローをサルベージすることも、小説の主題ではないかと思う。それは普通の人間として生きることすら、誰かにとっての自覚なきヒーローとなりうるという示唆だ。

筆者はこの街で一体何が起こったのか克明に描ききり、目的を果たしたことを暴露してこの物語を終える。
いつか必ずペストはまた来るから――と言ってこの物語は終わる。
ペストという単語に置き換わって何が入るかは、その国その時代で変わるだろう。
しかし作中の民衆の動きすなわち人間の動きは普遍的だ。

 

おそらくは、人間ってそういうものだよね、という全面的な人間賛歌をカミュはうたっているのだ。小説全部を通して感じ取れるのは、矮小かつ善良な、、人 間っていうのはさ、というカミュのおっさんが高らかにうたう愛だ。観察なしには全ての不条理はそのまま飲み込まれて忘れられていく。ひょっとしたらそれで いいのかもしれない、全部ひっくるめて人間の営みであると考えれば、やはり不条理の発見はそれ自体が敗北なのだとも思う。

(蛇足ながら、そしてまたしても、しかし、と思わざるをえない)
   ■

前回の感想文でタル―さんのほうがガチの単独者なのかなと思った私の予想はおそらく外れたんだと思う。敗北しても立ち続ける、抗い続けることをその存在意義と自覚しているリウーさんがやはりこの小説の主人公なのだとわかった。

リウーさんとタル―さんは表裏一体だったが、友情で結ばれることになる。こたえとして共感を出したタル―さんを、リウーさんは批判するのではなくただ否定した。そしてともに戦った。
タル―さんの存在は、知識となって、リウーさんの記憶に焼きつくことで永遠となった。

痛いほどにひとの気持ちがわかるとき、悲嘆しかできないとき、
 わかるよ、でもね・・・
でもねの先は、言葉にされないでも本人には初めからわかっている。
だから、大抵のときにはリウーさんもタル―さんも黙って頷くのだ。一緒に悲嘆に首を振るのだ。

共感・理解、そして誠実さ。
負け続けても、不条理に対しては絶対に肯定をしないこと。自分がおかしいと思ったこと(=不条理)に対して「これでいいのだ」と言わないこと。
そして、記録を続けることもひとつの戦い方だということ。


なんてストイックな、なんて愛に溢れた小説だろうと思う。
長くかかったけれど、読んでよかった。すごく、よかった。

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読書感想文は以上です。勿論これは個人の感想文にすぎませんが、ここまで読んでくださっている方のうちにいる(と信じている)いまも戦っているあなたへ、タル―さんの言葉を紹介しましょう。
「人間が意気地なしになるような時刻が、昼夜ともに、必ずあるものだし、自分が恐れるのはそういう時刻だけだ」

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ちょっと急ぎ過ぎたか・・・それにしても真面目に話すの向いてない自分に参った。だって言葉が出てこない。といえるほどには時間をかけていない。ぼんやり考える時間が長かったのは事実だし本と自分のそういう関係性を気に入っているところもあるけれども。以下日記。

   ■


本を読み終わると同時にレモンちゃんは異常なほどの高熱を出している自分に気づいた。――ペストのはじまりだ。

f:id:denkilemon:20140120175630j:plain おそろしい本!

リングか。感情移入するひとを完全に間違えたか、そう思ったところで後の祭りだった。実際、それは会社で回覧用紙と一緒に回っている病原菌由来のものにすぎなかった。いずれにせよ楽しみにしていた休日が台無しになることは明白だった。ふらつきながら訪れた近所の病院にはリウー先生はいなかった。医師の質問にイエスと答えた数の種類だけの薬が処方された。
全身を襲う震えと喉の渇きに耐え兼ねてレモンちゃんは訴えた。
「不条理です」
リウー医師は無言のままうなづいた。

   ■

タル―さんがペストにかかったのも最後の最後にうっかり予防注射を忘れたからということになっていた。気をゆるめた瞬間死ぬってあんた自分で言ってたじゃないですか!と嘆いた読者は私だけではないはず。

いまリウー先生からありがたいお言葉が届きました。
「人類の救済なんて(略)大それたことは考えていません。人間の健康ということが、僕の関心の対象なんです。まず第一に健康です」

インフルエンザが流行っています。ノロウイルスとかも流行っています。
気をゆるめてはいけません。手洗いうがいを励行しましょう。

まず第一に健康です(泣)